藤波辰爾「50年の名勝負数え唄~WRESTLING JOURNEY~」<56>東京ドーム初進出でソ連と対戦…1989年4・24東京ドーム

スポーツ報知
藤波辰爾

 プロレス界のレジェンド藤波辰爾(68)が今年、デビュー51年目を迎えた。16歳で日本プロレスに入門し、1971年5月9日に岐阜市民センターでの新海弘勝(北沢幹之)戦でデビューした。スポーツ報知では半世紀を超える数々の名勝負を藤波に取材。「藤波辰爾、50年の名勝負数え唄~WRESTLING JOURNEY~」と題し、毎週金曜日に連載する。56回目は「東京ドーム初進出でソ連勢と対戦…1989年4・24東京ドーム」。

 新日本プロレスは1989年4月24日にプロレス界で初めて東京ドームで興行を開催した。日本初のドーム球場となった東京ドームは1988年3月に開場した。6万人規模の破格の会場への初進出を決めたのはアントニオ猪木だった。藤波はドーム進出を聞いた時どう思ったのか。

 「無謀だと思いました。そのころは両国国技館とか日本武道館が精いっぱいだったから。そこは僕らにはない猪木さん独特の発想だった」

 猪木がいわば独断で決めたドーム初進出。無謀と思ったのは藤波だけではなく当時の社員、レスラーの共通した思いだった。ただ、いざ決めると社内の雰囲気は変わったという。

 「誰もがドームでやってみたいっていう夢があるじゃないですか。だから、やるって決まってからは、一致団結して最初の不安は希望に変わった」

 猪木は、初のドーム興行の目玉にゴルバチョフ大統領が社会主義からの開放を掲げたソ連(現ロシア)から初めてのプロスポーツ選手となるレスリングの選手を参戦させることを決めた。交渉は難航したが猪木の熱意と政治力がソ連という大国を動かした。ソ連初のプロレスラー誕生はプロレス界の枠を超えて社会的な注目を集めた。

 「そこなんですね、猪木さんの発想は。注目をどこまで広げられるか。いつも我々はそこを求められた」

 初のドームにソ連からはレスリングの世界的強豪となるサルマン・ハシミコフ、ウラジミール・ベルコビッチ、ビクトル・ザンギエフ、ワッハ・エブロエフの4選手が参戦。さらにジョージアから柔道家のショータ・チョチョシビリが参戦しメインイベントで猪木と異種格闘技戦で対戦した。

 このドームをを前に藤波はIWGPヘビー級王座を返上する。そしてドームでは藤波を含む8選手による空位となった王座決定トーナメントが開催された。この1回戦で藤波はベルコビッチと対戦した。初めて肌を合わせたソ連の選手はどんな印象だったのか。

 「対戦して違和感はなかった。何より器用だった。器用だから動きをどんな形でもアレンジできた。全員がレスリングの強豪だから基本に忠実で本物だとファンは見たと思う」

 ただ、初めてのソ連に緊張感はいつもの試合より強かった。

 「違う意識はあった。力は強いし世界的な実力者だから必死だった」

 試合では藤波のローキックにベルコビッチがひるむシーンがあった。

 「そこはアマチュアなんだ。殴る蹴るに対応できなかった」

 試合はバックドロップからの三角締めで勝利した。続く準決勝でビッグバン・ベイダーと対戦したがビッグバン・クラッシュに圧殺され敗れた。初のドームで初めてのソ連と激突。記念の興行を終えた藤波だったが腰が悲鳴をあげていた。

(続く)

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