【羽生結弦 あの瞬間】満身創痍の体で滑りきった4分間 軍神が宿った「天と地と」

スポーツ報知
22年02月10日撮影(カメラ・矢口 亨)

◆フリー「天と地と」20~22年シーズン

 感覚のない右足で跳んだ。冒頭のクワッドアクセル(4回転半)は右足一本で氷を捉えた末の転倒。羽生結弦はすぐに立ち上がると両手を広げ、着氷のポーズを取った。次へと向かう、流れるような動作が美しかった。

 「今できる羽生結弦のアクセルのベストが、あれかなっていう気もしています。正直、これ以上ないぐらい頑張ったと思います。報われない努力だったかもしれないですけど。でも、一生懸命頑張りました」

 2月の北京五輪。フリー前日9日の練習で、4回転半を転倒した際に右足首を捻挫した。痛み止めの注射を打ち、リンクに立った。

 平昌五輪後、アクセルにささげた4年間だった。挑むことに迷いはなかった。五輪という究極の舞台で、信念を貫いた。回転不足の判定ながら、世界初の「4A」認定をフィギュア史に刻んだ。

 フリーの演目は、戦国武将・上杉謙信の半生を描いたNHK大河ドラマ「天と地と」。戦いに犠牲があることへの葛藤から出家し、悟りの境地に達した謙信公の美学と価値観に、羽生自身が共感した。

 「(4回転)サルコーの転倒も大きかったと思いますけど、でもなんか、それも含めて、あの『天と地と』っていう物語なのかなっていうふうにも思いながら滑っていました」

 満身創痍(そうい)の体で演じきった4分間に、軍神が重なった。

 19歳だったソチ五輪で金メダルを獲得し、平昌五輪で男子66年ぶりの連覇を達成した。勝つたびにファンを増やした羽生が、4位だった北京五輪で、またその数を増やした。羽生結弦というアスリートの魅力の芯の部分「挑戦する姿」が人々の心をつかんだ。

 「報われなかった今は、報われなかった今で幸せ」と羽生は言った。「北京五輪までやり続けてきて、本当に努力し続けてきて、これ以上ないくらい頑張ったと言える努力をしてこられて、良かった」とは、19日の決意表明会見での言葉。

 前人未到の4回転アクセル習得へ、道なき道を切り開いてきた。たどり着いた3度目の五輪。夢を追い、挑み続ける姿の尊さは、人々に届いた。勝利とは違った形で、羽生の努力は報われたのではないだろうか。(高木 恵)

 ◆矢口が撮った

 私にとって羽生の「天と地と」は最も思い入れがあるプログラムかもしれない。琵琶や琴などの弦楽器の音色に合わせ、最強の戦国武将、上杉謙信を演じる。

 初見は20年12月の全日本選手権(長野)。有観客ながら歓声を上げることが禁止された静寂の会場にエッジ音が響き渡る。羽生は圧巻の演技で優勝した。次はもっといい写真を…。私の気持ちに反して新型コロナウイルスの感染状況は世界的に悪化の一途をたどった。競技会場に入れる報道陣は制限され、羽生を撮影するチャンスはその後、1年間訪れなかった。

 その間、何百回と「天と地と」の動画を見返した。通勤の電車内で、夜眠る前に。大会によって撮影ポジションに違いがあるから、プログラムを覚えることと、いい写真が撮れることはイコールにはならないが、できることを探した。被写体が「羽生結弦」だったから、そう思えた。

 今年2月の北京五輪男子フリー。私が選択したのは、競技に向かう姿と演技中の姿が一番近くで見られるジャッジ席と正反対の撮影ポジションだった。国際スケート連盟大会で史上初めて認定された4回転アクセルと4回転サルコーの転倒から瞬時に立ち上がってプログラムをつないだ表情が美しかった。演技後は悔しさを押し殺し、気高く上を向いた。

 戦での並外れた強さで知られる謙信だが、戦国の世に疲れて一時、政を離れたことがある。「あの前半2つのミスがあってこその、この『天と地と』という物語が、ある意味できあがっていたのかな」。羽生は自らの生きざまで、軍神の葛藤と弱さも演じきった。北京の「天と地と」は、映像で繰り返し見たプログラムとは別物だった。想定外の距離感に、うまく撮れなかったシーンもあった。でも、できる限りの準備をして対峙(たいじ)できた羽生の最高傑作。悔しさを幸福感が上回った。(写真部・矢口 亨)

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