【熊本】九州学院・村上慶太、ヤクルトの兄・宗隆が2年連続決勝で負けた秀岳館に雪辱V打で7年ぶり甲子園

スポーツ報知
試合後、ナインから胴上げされる九州学院・村上慶太(カメラ・二川 雅年)

◆第104回全国高校野球選手権熊本大会▽決勝 九州学院6―0秀岳館(26日・リブワーク藤崎台球場)

 ヤクルト・村上宗隆内野手(22)の弟・慶太一塁手(3年)が4番を務める熊本・九州学院が7年ぶり9度目の出場を決めた。主砲は3回に今大会初打点となる決勝タイムリーを放つなど、同校出身の兄が2、3年時の決勝で敗れた秀岳館へのリベンジに成功した。夏の甲子園は8月6日に開幕する。

 誰よりも速く、マウンドに走って行った。9回2死。最後の打者を左飛に打ち取り、優勝を決めると村上は右手を高々と上げ笑顔でエース・直江新の元に駆け寄った。兄・宗隆が1年生だった2015年以来となる夏の甲子園。「今まできつい思いをして練習をやってきた。自分の中でいろいろ考えることが多かったけど優勝という結果が得られてうれしい」と満面の笑みを見せた。

 4番の一振りが勝利を呼び込んだ。0―0の3回1死一、三塁。カウント1ボール2ストライクから外角ボール気味の直球を体勢を崩されながらも、うまく合わせて左前に運んだ。村上は一塁ベースで雄たけびを上げベンチに向かってガッツポーズ。決勝点となった先制打に「何が何でも貢献したかった。貴重な1打点になって本当に良かったです」。今大会は厳しいマークもあり準決勝まで打点0。苦しんだ分だけ喜びは大きかった。4番の一打で流れに乗った打線はこの回3得点。試合の主導権を握った。

 尊敬する兄の思いをバットに込めた。宗隆は1年時に決勝で文徳に勝って夏の甲子園に出場。しかし、2、3年時は、ともに決勝で秀岳館に敗れた。「秀岳館に負けた時はスタンドで見ていました。お兄ちゃんが2年連続で負けていたので自分が絶対に借りを返してやろう」。いつも以上に気合が入った。前日には「とにかく頑張れ。勝負は勝ち負けがあるけど自分たちのプレーをやれ」と激励され奮い立った。試合会場に向かうバスの中では兄から勧めてもらった音楽を聴いて気持ちを高めた。そして迎えた因縁の秀岳館戦。自らのバットで兄のリベンジを果たしてみせた。

 今や日本を代表するスラッガーとなった宗隆の1年夏の甲子園は4打数無安打でチームも初戦(2回戦)で遊学館(石川)に敗れた。慶太はその試合も応援に行っていたという。「チームの勝利に貢献したい。上の世界で活躍したい思いがあるので甲子園でアピールする」。聖地で兄の成績を超え、未来への扉を開ける。(宮内 孝太)

 ヤクルト・村上宗隆(オールスターに出場。弟・慶太が所属する母校・九州学院の甲子園出場が決定)「刺激になるし、僕も頑張ろうって思いになる。僕の弟ってよく言われますけど、(弟には)いち高校球児として頑張ってもらいたい」

 ◆今は「いつか超えたい」存在比べられて苦しんだ過去

 兄・宗隆は高校時代から注目されていたため、慶太は小学生の頃から比較されてきた。少年野球の開会式では他チームの選手から「村上の弟だ」とよく言われた。そんな状況が続き一時は野球をやめたいと思ったこともあったという。その悔しさを糧にしてコツコツと努力を重ねてきた。父・公弥さんも「小さい時は(比べられることを)嫌がっていたけど腐らずよくやってきた」と慶太の成長を喜ぶ。

 慶太自身も今は偉大な兄と比較されることをプラスに変えている。「お兄ちゃんが活躍しているから注目される。それはありがたい」。現時点で兄に勝てる所は「声と明るさしかない」と笑うが「でもいつか絶対に超えたい」という言葉は力強かった。

 ◆村上 慶太(むらかみ・けいた)2004年11月11日、熊本市生まれ。17歳。託麻南小4年時に託麻南小野球クラブに入団。長嶺中では硬式の熊本東リトルシニアに所属し3度全国大会に出場。3兄弟でヤクルト村上は2番目の兄。九州学院では1年秋からベンチ入り。高校通算6本塁打。遠投96メートル、50メートル走6秒2。189センチ、94キロ。右投左打。

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