いまだにこんな形で自分の言わせたいことを取材対象者が口にするまで、しつこく質問し続けるメディアがあるのか―。そんなことを思ったテレビ朝日系「報道ステーション」スタッフの取材姿勢だった。
20日、東京・内幸町の帝国ホテルで行われた第167回芥川賞・直木賞発表会見。芥川賞の受賞者は「おいしいごはんが食べられますように」(群像1月号)で2度目のノミネートでの受賞となった高瀬隼子さん(34)。新型コロナ禍のため、選考会の行われた東京・築地の料亭「新喜楽」と約100人の記者の集まったホテル宴会場をリモートで結んでの会見が行われた。
食べ物を軸に職場の人間関係を描いた高瀬さんの作品について、選考委員を代表してリモート画面に登場した川上弘美さん(64)は「高瀬さんは最初の投票から過半数を取りました」とダントツの評価での栄冠だったことを明かした上で「職場、あるいはある人数の中での男女関係、人間関係を立体的に描き得ている作品。いかに書くかと言う技術が非常に優れていると評価されました。人間の中にある多面性が非常にうまく描かれていた」と評した。
各新聞、テレビ局の報道、文芸記者による川上さんへの質疑応答の最後に、私が違和感を覚えた一幕が起こった。
司会者の「次が最後の1人です」という声かけに手を挙げてスタンドマイクの前に立った女性は「テレビ朝日『報道ステーション』の〇〇と申します」と名乗ると、こう聞いた。
「高瀬さんの作品は選考の過程では、どんな世相を反映しているという議論があったのでしょうか?」
この質問に川上さんは「どんな世相?」と思わず戸惑いの声を漏らした後、「そういう論じられ方はしませんでした。選考委員は小説をそういう形では読まない。選考の場では、もっと小説自体を論じるような気がします。ごめんなさい。一言でバッと言えるようなことは今は言えません。良かったら(後で)選考委員の皆さんの選評を読んで下さい」
だが、さらに女性は聞いた。
「今の時代に高瀬さんの作品が選ばれた意味は?」―
「世相」を「時代」と言い換えた形の質問に川上さんは「先ほども言いましたように、どの小説も今を書いているんですよ。高瀬さんが今を書いたから選ばれたのではなく、どの小説もそれぞれの作家の今、それぞれの作家の見た現在を書いている。それが自身の作家性と有機的に絡み合って小説ができてくると思う。ですから、ごめんなさい。だから、高瀬さんがこういう世相を切り取っているから受賞したんだとは、どうしても言えません」
川上さんが2度「ごめんなさい」と謝りながら説明したにも関わらず、女性はさらに聞いた。
「実際、現象として、昭和、平成、令和と女性の受賞者が徐々に増えています。その部分の変化について、ご自身はどう感じていますか?」―
今回の芥川賞の候補者5人全員が史上初めて女性だったことを踏まえ、「私も芥川賞を受賞した時、直木賞が乃南アサさんで『初めての女性だけの受賞者の年だ』って、すごく言われたんですね。その後、女性だけの受賞者の年もありましたし、移ってきているんだなとは思います。候補作にどれだけ女性を選ぶか、選考委員にどれだけ女性が入るかということですから、個人的な感想ですけど、(文学界は)風通しがいい場所なんじゃないかなと、ありがたく思ってます」と答えた川上さん。
この答えを受けた女性は「あと一つだけ」と言うと、「女性の方が、男性の方がということはないと思いますが、時代が徐々に変化をしているということを感じられますか?」と聞いた。
あくまで「時代」と絡めた答えを求め続ける女性に「女性です、男性ですって一言で言っちゃうところがもう小説的でないような気がするんで…。ごめんなさい。ご期待に応える答えができないんですけど。一言で言えないところをどうやって表現していくかが小説だと思うので」と、ついに本音を漏らした川上さん。
「男性、女性の(候補者の)数という統計的なことは言えるかも知れないけど、選考委員として、そこに対して何かコメントと言うと、私自身は違和感を覚えます」―。終始、冷静に答え続けたものの最後の「違和感」という言葉に、あくまで「答えてほしい言葉」を質問の形で求め続ける女性へのいら立ちが感じられた。
どうして、女性が「時代」「世相」を絡めた答えを川上さんに求め続けたのか。答えは受賞会見が終了した午後7時半の3時間後に放送された「報道ステーション」にあった。
同番組では、今回、芥川賞の候補5人が全員、女性。直木賞の窪美澄(みすみ)さん(56)と合わせ、受賞者も女性2人だったことを受け、戦後から現在までの芥川賞における女性受賞者のVTRを用意。世相、時代とともに女性が躍進し、変わりつつある文学賞というテーマの報道を既に用意していたのだ。
当然、番組から送り出された形の女性はどうしても用意されたVTRにそぐう「世相とともに女性が活躍する芥川賞」という見方を後押しするコメントを川上さんから引き出すべく同じ質問をし続けたのだった。
私たち取材記者には「こう答えてほしい」という方向に取材対象者を導く「はめ手」のような質問の仕方が確かに存在する。意識して、そういう聞き方をした経験が私にもあるが、それも時と場合による。
「蛇を踏む」での芥川賞受賞が1996年。30年近く「言葉」を武器として文壇のトップで生きてきた川上さんにそんな「はめ手」が通用するわけもなく、「ごめんなさい」を連発された末に「違和感」まで覚えられてしまった女性は明らかに現場で浮いていた。
真横で質疑応答を見ていた私自身も「どうしても川上さんの言葉を引き出さねばという思いは分かるけど、そのくらいにしておけば…」と思ってしまったのは事実だ。
そう、小説という芸術は、そして作家という存在は世相や時代に影響されて作品を生み出すなんて単純なものではない。書かなければ死んでしまう―。そんな思いで、やむにやまれず書く。その結果、生み出されてきたのが名作と呼ばれる作品の数々だと思う。
川上さんと女性の約5分に及んだやり取りでゴツゴツした異物感だけが残った私の心に一陣の涼しい風を吹かせてくれたのは、川上さんの会見の後、黒のロングスカートで登壇した晴れの受賞者・高瀬さんの言葉だった。
「何とか、この世界で書き続けたい、生き残りたいという気持ちがあるので、(今回は)頑張れという受賞だと思うので、これからも書き続けたいと思います」―。
初々しくも、書かなければ生きていけない作家という生き物ならではの性(さが)を正直に口にした言葉に、やっぱり小説って、そして作家って理屈じゃないんだよな―。そんなことを思わされた夜だった。(記者コラム・中村 健吾)