羽生結弦 忘れられないボストン空港と北京五輪のサブリンク 高木記者が見た

スポーツ報知
会見で質問に答える羽生結弦(カメラ・矢口 亨)

 フィギュアスケート男子で2014年ソチ、18年平昌五輪連覇の羽生結弦(27)=ANA=が19日、都内で記者会見し「プロのアスリートとしてスケートを続けることを決意した。理想としているフィギュアスケートを追い求めるのは競技会でなくてもできる」と話し、第一線を退く意向を表明した。今後は五輪などの競技会に出場せず、アイスショーに軸足を移す。羽生は2月の北京五輪後、進退を明言していなかった。

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 66年ぶりの五輪連覇を達成した平昌大会以降、羽生の心は揺れていた。プロ転向は常に頭にあったという。「毎試合毎試合、思っていた」ことを、この日の会見で明かした。華やかな経歴の陰で、王者は人知れず苦しんでいた。

 「本当にいろんなことを考えて。『これ、努力している方向間違っているのかな』とか、『本当に頑張れていないのかな』とか、いろんなことを考えて競技をしてきました」

 羽生のジャンプは踏み切りと着氷を含めた美しさが際立っている。プログラム中の技と技のつなぎもそう。一つ一つの所作に意味を持たせ、音にはめ、演目の完成度を追求した。しかし平昌五輪後、得点に反映されないこともあった。シーズン中に、心が空っぽになってしまうこともあった。わけもなく涙が流れ、食事が通らない日もあった。

 平昌五輪の一夜明け取材で、羽生の発言に驚いたことがある。

 「今幸せだから、またすぐ不幸がたくさん起きて、つらい時期が来るんだろうな」

 人生の絶頂とも言える場面で、こんな言葉が浮かぶのか。どれほど険しい道を歩んできたのだろう。けがに見舞われることも多かった。その度に逆境を超えてきた。平昌五輪は右足首の大けがから4か月ぶりの実戦だった。スケートのために生きた。「連覇のためだけに幸せを全部捨てようと思った」とまで言い切れるアスリートが他にいるだろうか。

 16年世界選手権でのことだった。ボストン空港で到着を待った。記者は4人のみ。普段より雑談の色合いが濃い取材となった。試合への意気込みを語った後、羽生は話題を変えた。「僕はアスリートなんですけど。スケートしたいだけなんですけどね。スケートとプライベートって全く関係ないし、僕はアイドルじゃない」

 11年に出身地・仙台市で練習中に発生した東日本大震災から3年後のソチ五輪で、初の金メダルを獲得して以降は、リンク外でも注目を集めた。週刊誌に追われることも増え、戸惑った。「まあ、そのうち人気はなくなるんで大丈夫ですけど。現役のうちだから」と自虐的に笑った。羽生の人気は衰えるどころか、その真逆。挑戦を続ける精神が、生きざまが、人を引きつける。

 北京五輪での試合を終え、サブリンクで過去の9曲を舞った2月18日。報道陣に向かって語り出した。

 「僕もいつも誠意をもって対応してきたつもりです。ここまで本当に『羽生結弦』という媒体をすごく大切にしてくださって、ここまで成長させてくださって、本当に皆さんありがとうございました」

 さよならのあいさつに聞こえた。恥ずかしながら、心の声が漏れてしまった。「もう見られない…の…?」。「あ、もうここ(サブリンク)では」と笑った羽生は続けた。

 「公開練習しますか(笑い)。くっそ自由な。本当にみなさんには取材とか関係なく、いつか、ただひたすら、こんなくだらない練習かもしれないですけど、なんかひたすら仕事も忘れて、飲みながらでもなんでもいいので。見てもらえる時間が、いつか来たらいいな、とかって思っています」

 くっそ自由な公開練習の開催はいつだろう。さすがに酒までは望まないが、その時を楽しみに待つ。(高木 恵)

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