【箱根への道】優勝12回・名門に復活へ「なにが・なんでも!」新しい日大

スポーツ報知
若山(右)を先頭に練習に励む日大の選手(カメラ・矢口 亨)

 日大の新理事長に就任した作家の林真理子さん(68)は「新しい日大 N・N」を前面に打ち出した。日大の駅伝チームも「新しい箱根への道」を走り出している。昨年10月の箱根駅伝予選会ではチーム史上ワーストの21位で大敗したが、今年6月の全日本大学駅伝関東選考会では7位で突破した。箱根駅伝優勝12回を誇る名門に復活の気配が漂い始めている。

 日大が16校を“ごぼう抜き”して伊勢路切符を勝ち取った。6月19日に相模原ギオンスタジアムで行われた全日本大学駅伝関東選考会。1万メートル8人の合計タイムで7枠の本戦出場権を争い、ぎりぎりの7位で突破。2年ぶりの本戦出場を決めた。

 ハーフマラソン10人の合計タイムで10枠を争った昨年10月の箱根駅伝予選会では2年連続で敗退。しかも、日大史上ワーストとなる21位の惨敗。10校の箱根シード校と合わせて関東で31番手まで落ち込んだ。しかし、今回、8校の全日本シード校と合わせて関東15番手に浮上。箱根予選会と全日本選考会では距離も人数も異なるが、単純計算で大きく盛り返したことになる。

 「まだまだ弱い日大です」と小川聡監督(64)は冷静かつ慎重に話した。ただ、その上で「やればできる。10月の箱根駅伝予選会が面白くなりました」と手応えを明かした。

 箱根駅伝で出場89回、優勝12回。いずれも歴代3位の名門だ。しかし、最後の優勝は1974年の第50回大会まで遡る。シード権の獲得も2014年が最後だ。さらに近年は迷走が続く。

 20年の箱根駅伝本戦で18位に終わり、6年連続でシード権を逃した。その結果を受け、同年6月に当時36歳だった若手の武者由幸監督が退任。関東学生陸上競技連盟名誉会長で当時77歳の青葉昌幸監督が急きょ就任した。大東大監督として4度の箱根優勝経験を持ち、日大OBでもある大ベテラン指揮官にチーム再興が託されたが、同年10月の箱根予選会はチーム史上ワーストの18位で大敗。青葉監督は就任からわずか10か月の昨年3月末に退任した。

 昨年4月1日に後任として小川監督が就任。日大OBの小川監督は90年代前半はコーチの肩書ながら実質的な監督として日大を率いた。横浜銀行女子監督に転身した後、01~08年、13~16年にもチームを率い、今回で事実上、4度目の登板だった。

 5年ぶりに母校に戻った小川監督は日大の弱体ぶりに驚いた。「青葉監督が体調を崩されてチームを見る時間が減っていたこともあり、昨年4月には(強度が高い)ポイント練習をしている選手は10人しかいなかった」と明かす。

 05~07年の箱根では日大を3位、3位、2位と好成績に導いた実績を持つ小川監督は箱根路で戦うために必要な練習と心構えを選手に丁寧に説いた。「昨年の夏合宿では予選会を突破できる練習を積めた。でも、付け焼き刃だった。夏合宿の後に故障者が続出した」(小川監督)。前年の予選会でチーム内2位(日本人トップ)で関東学生連合チームに選出された小坂友我(当時4年)、1万メートルでチーム3位の28分21秒52の自己ベストを持つ松岡竜矢(当時3年、現4年)が登録メンバーから外れるなど苦しい布陣で挑んだ結果、前年のチームワーストをさらに更新する21位で大敗した。

 1922年の第3回大会に初出場してから初めて2回連続で本戦を欠場したことで、ようやくチームは目覚めた。秋の予選会で敗退した大学の選手は新春の箱根路では観客整理などを行う走路員として大会を支える。今年の第98回大会が終わった後、小川監督は選手に言った。

 「走路員は大事な役割だけど、君らは走路員をするために日大に入ったんじゃないよな。箱根駅伝を走るために日大に入ったはずだ」

 指揮官の言葉は選手に響いた。副将の若山岳(4年)は1年時には8区に出場。当時、コロナ禍前だったため、大観衆の中、平塚―戸塚間を駆けた。しかし、2、3年時は走路員として他校のランナーを見守ることしかできなかった。「沿道にいた人に『どこの大学?』と聞かれ『日大です』と答えると、その人に『日大は今年も出られないんだね』と言われて…。悔しかったですね」と若山は静かに振り返った。

 1年時に箱根駅伝を経験した樋口翔太主将(3区8位)、チャールズ・ドゥング(2区12位)、松岡(7区19位)、若山(8区19位)ら最上級生を中心に箱根路への思いが強まり、チームの意識は高まった。ほとんどの選手が積極的にポイント練習に取り組んでいる。

 ただ、その過程で約10人が退部し、チームを去った。「貴重な学生生活なので陸上以外にやりたいことがあるならば、中途半端に陸上を続けるよりも陸上部をやめた方がその部員にとってもチームにとってもいいことだ、と思います」と若山は冷静に話す。

 現4年は1年時は武者監督、2年時は青葉監督、3年時は小川監督と指揮官が目まぐるしく交代した。「監督が代わることで練習も1年ごとに変わったりしていましたが、昨年、基盤ができて、今年はそれを生かせていると思います」と若山はチームの思いを代弁する。

 田中英寿前理事長(75)らによる一連の不祥事。全く関係のない駅伝チームの選手も心を痛めることが多かった。「日大と一くくりにされてつらいこともありました」と若山は率直に明かす。

 今月1日に林新理事長が就任。「新しい日大 N・N」キャンペーンで日大のイメージは回復傾向にある。時を同じくして日大駅伝チームも確実に復活への一歩を踏み出した。小川監督は「まずは箱根予選会を突破しなければ復活とは言えない」と言葉に力を込める。若山は「今年の第一目標は予選会突破。本戦ではシード権を取って日大復活のきっかけをつくりたい」とさらに高い目標を明かす。

 紺色に白のN。伝統のユニホームは少しずつ輝きを取り戻しつつある。(竹内 達朗)

 ◆小川 聡(おがわ・さとし)1957年8月14日、相模原市生まれ。64歳。76年に日大高から日大入学。箱根駅伝は1年6区4位、2年7区3位、3年1区4位、4年1区6位。80年に日産自動車に入社。現役引退後、日産自動車コーチ、日大コーチ、横浜銀行女子監督を務めた。2001~08年に日大監督を務め、出雲駅伝で3回、全日本大学駅伝で1回優勝。13~16年にも日大監督を務めた。21年から3度目、実質的な監督だったコーチを含めると異例の4度目の監督就任。

 ◆日大 1921年創部。箱根駅伝には22年の第3回大会に初出場。35年から4連覇を果たすなど12回の優勝を誇る。出雲駅伝は優勝5回、全日本大学駅伝は優勝3回。3大駅伝通算20勝は駒大(24勝)、日体大(21勝)に次いで早大とともに3位タイ。タスキの色は桜色。主な陸上部OBは56年メルボルン五輪男子マラソンで5位になった川島義明、箱根駅伝に2度出場した俳優の和田正人、2016年リオ五輪男子400メートルリレー銀メダルのケンブリッジ飛鳥ら。

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