横浜銀蝿リーダー嵐ヨシユキさん死去、67歳肺炎…実弟・翔「兄貴、早過ぎるよ」

スポーツ報知
4日に死去した「横浜銀蝿」のリーダー・嵐ヨシユキさん

 80年代日本の音楽シーンを沸かせた4人組ロックンロールバンド「横浜銀蝿」のリーダーでドラマーの嵐ヨシユキ(本名・田宮淑行=たみや・よしゆき)さんが、4日午前10時46分、肺炎のため川崎市内の病院で死去した。所属事務所が11日、明らかにした。67歳。葬儀は近親者のみで営まれた。お別れの会については、コロナ感染状況を踏まえ、後日開催予定。ボーカル・翔(64)、ギター・Johnny(64)、ベース・TAKU(61)はリーダーの早すぎる死を悼んだ。

 80年代を代表する“不良バンド”のリーダーとして、昭和のワルのハートをアツくさせたロックンローラーが逝った。レコード会社によると、嵐さんは今年4月、横浜市で「嵐67生誕祭」を開催。持病である肺疾患の悪化もあり、車いすで歌唱のみだったが、衰えぬパフォーマンスを披露した。結果的にこれが最後のライブとなった。

 6月には肺の調子がさらに悪化し、検査入院。誤嚥(ごえん)性肺炎と診断された。同月下旬には体調を持ち直し、実弟の翔と談笑するまでに回復。病床でも音楽への情熱は衰えず、結成50周年にドラムを再び演奏することを最後まで夢見ていた。7月に入ると体調が急変し、4日に帰らぬ人となった。コロナ禍の影響で、翔は兄の最期をみとることができなかったという。

 嵐さんは79年、翔、Johnny、TAKUと「THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL」を結成。オーディションに落ち続けてもメンバーを励まし続けた。

 翌年、シングル「横須賀Baby」、アルバム「ぶっちぎり」を同時発売しデビュー。81年、作詞作曲した「ツッパリ High School Rock’n Roll(登校編)」がヒットし、大ブレイク。リーゼント、サングラス、革ジャン、ドカンなど「ツッパリ」スタイルが若者の心をとらえた。ひげにキャップ姿の嵐さんは「リーダー」と呼ばれ、メンバーやファンに親しまれた。銀蝿の弟分で「男の勲章」などがヒットした嶋大輔(58)のプロデュースも手掛けた。

 銀蝿はデビュー前の「シングル&アルバム1位、日本武道館を満タン(満員)にしたら解散」を有言実行し、人気絶頂ながら、83年に惜しまれつつ解散。活動期間の3年3か月、総売り上げは378万枚を誇った。

 近年は病魔との闘いだった。2004年4月に脳梗塞後出血で手術し、小脳の半分を摘出。活動が困難な中、懸命のリハビリが実り、06年の結成25周年コンサートで復帰。その後、糖尿病を発症。19年には、インフルエンザに感染したことが原因で、腎臓の機能が低下。21年にバンド結成40周年を記念したライブツアーでは、人工透析を受けながらのドラム演奏だった。

 40周年再集結時には、スポーツ報知の取材に応じ、「還暦オヤジの新たなツッパリを見せます」と体調不良を感じさせない受け答えをしていた。嵐さんが残した“昭和のツッパリ魂”は永遠に語り継がれるに違いない。

 ◆Johnny「嵐さんは無敵」TAKU「文字通りの『生涯現役』」

 嵐さんの突然の訃報に、メンバーからは悲しみのコメントが寄せられた。ボーカルで実弟の翔は「兄貴、早過ぎるよ。まだまだ一緒にステージでロックンロールしたかった。悲しいよ。未(いま)だに受け入れられてないけど受け入れないとね。兄貴。ずっとありがとう。約束通り生涯現役、貫いたね。ゆっくり休んで下さい」と沈痛な思いを寄せた。

 Johnnyは「嵐さんは無敵でした。透析をしてのライブのしんどさは想像を絶するはずですが、いつも大丈夫、大丈夫と言って決して泣き言は言いませんでした。嵐さん、天国では無理はしないでくださいね」。TAKUも「一緒にかわいいおじいちゃんをめざせるかなとか思ってましたが、残念ながら嵐さんは、全然かわいくないおじいちゃんのままいきなり旅立ってしまいました。まさに文字通りの『生涯現役』」と悼んだ。

 ◆嵐ヨシユキ(らん・よしゆき)本名・田宮淑行。1955年4月15日、神奈川・横浜生まれ。79年に「T.C.R.横浜銀蝿R.S.」を結成、人気絶頂の83年に解散。98年にはバンド名「横浜銀蝿」として嵐、翔、TAKUの3人で復活。01年には、参院選で自由連合公認で比例選から立候補し落選。19年、オリジナルメンバー4人が期間限定復活する「横浜銀蝿40th」で再結集。

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