佐野浅夫さん、96歳の大往生…「泣き虫黄門」を足かけ8年246回演じた

スポーツ報知
佐野浅夫さん

 TBS系の人気時代劇「水戸黄門」の3代目黄門役で親しまれた俳優の佐野浅夫(さの・あさお、本名・佐野浅雄)さんが6月28日午後9時59分、老衰のため京都市内の自宅で死去した。96歳だった。ホームドラマの父親役などで注目され、ほのぼのした温かい雰囲気が人気に。脇役ひとすじだったが、1993年から2000年まで演じた水戸光圀役が当たり役となった。

 所属事務所によると、佐野さんは5月に肺炎のため20日間ほど入院。6月3日に退院し、本人も帰宅を喜んでいたそうだが、体力的な消耗がみられたという。同28日は普段通り過ごしていたところ、体調が悪化。自宅に医師を呼んだが回復せず、夫人にみとられ帰らぬ人となった。通夜・葬儀は近親者のみで営まれた。

 佐野さんは2006年を最後に映像の仕事をセーブ。08年には脳梗塞(こうそく)をわずらったものの、治療が奏功し大事には至らず、ライフワークだった民話の朗読「お話でてこい」(NHKラジオ)に関連した児童館の活動や、老人ホームでのボランティアなどを行っていた。

 横浜市出身。1943年、日大在学中に劇団「苦楽座」に入団したが、45年3月、山梨の特攻隊員として召集され、爆弾を体にくくりつけ、敵の戦車に体当たりする任務に従事した。敵戦車の襲来がなく、沖縄行きを命じられたが、寸前で内地勤務に変わったため戦死を免れ、終戦後に新劇の俳優に復帰。舞台「セールスマンの死」「アンネの日記」、映画「日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声」「太陽の季節」などに出演し、ドラマではほのぼのとした下町のおじさん役で脇役人生を歩んだ。

 転機は93年。東野英治郎さん、西村晃さんに続く3代目の黄門役に抜てきされた。位の高い黄門様ながら、庶民の苦しみを思い、涙を流す。「情にもろい黄門さまを前面に出したい」と、過去2代の厳格な黄門様のイメージを一新。人情深い役づくりで「泣き虫黄門」と自ら名乗り、石坂浩二にバトンタッチする75歳まで足かけ8年、246回演じ続け、お茶の間に親しまれた。

 人柄はまじめで努力家。NHKテレビ小説「藍より青く」(72~73年)では熊本・天草で漁師生活を体験し、そば店の職人を演じたTBS系「肝っ玉かあさん」(68~72年)では、そば店50店以上を訪ね歩いた。「NGは恥。そんな役者の生き残りです」と、せりふは常に完全に暗記していた。

 私生活では、50年に幼なじみの女性と結婚したが98年に死別。74歳だった2000年2月に、21歳下で元料亭女将(おかみ)の一般女性と再婚。「娘と女房がいっぺんに来た感じ。この女房が目に入らぬか!」と喜びを表し、話題を呼んでいた。

 晩年も穏やかに過ごしていたといい、所属事務所によると「先月も『8月に誕生日が来たら、もう97歳になるんだ』と語っていた」という佐野さん。〽人生楽ありゃ苦もあるさ 涙のあとには虹も出る― 庶民派の「泣き虫黄門様」が、天国への漫遊の旅に出た。

 ◆佐野 浅夫(さの・あさお)1925年8月13日、横浜市生まれ。実家は青果店。日大芸術学部在学中の43年、苦楽座に入団し「オルレアンの処女」で初舞台。劇団文芸劇場、新協劇団を経て、劇団民藝に参加。他の出演作に映画「ビルマの竪琴」「けんかえれじい」など。96年、勲四等瑞宝章。NHKラジオ「お話でてこい」では民話の語り手役として4000回以上の放送を続け、モービル児童文化賞、ペスタロッチー教育賞など受賞。

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