落語家・春風亭かけ橋(33)が1日、池袋演芸場の7月上席で二ツ目昇進を果たした。
「田能久(たのきゅう)」を口演したかけ橋は、「うれしいですね。感謝の思いが強いです。色んな方に支えてもらって、励ましてもらって、周りの人がいなかったら務められなかった」と感謝の思いを口にした。
かけ橋にとって、“2度目”の二ツ目昇進となる。2012年に柳家三三(47)に入門し、「小かじ」を名乗り、16年11月に二ツ目昇進も、18年に落語協会を退会した。同年7月に落語芸術協会の春風亭柳橋(66)に弟子入りし、再度、前座修業(4年間)を経て、再び二ツ目となった。
師匠の柳橋は“移籍”の経緯をこう語る。「三三さんから電話があって、『ちょっとご相談が』って言うので何だろうと思った。それで浅草(演芸ホール)の楽屋に来てもらったのかな」。所属協会も違い交流も少ない三三からの打診に戸惑ったという。近くの喫茶店に場所を変えると、三三は、自分の元を離れる弟子を柳橋に託した。柳橋は「三三さんは『人間もしっかりしているので、ご迷惑をかけることはありません』と…。弟子の身の振り方を心配していたんでしょうね」と当時を振り返った。
柳橋への入門を願ったのは、かけ橋だった。「(新たに)誰に弟子入りしたいと思った時に浮かんだのは師匠(柳橋)の顔でした」。地方の落語会の前座で、柳橋の着物をたたんだ時に「ありがとう」と満面の笑みで対応してくれた光景が頭をよぎった。「温かい感じで、この人だったらと思いました」。
落語界でも異例となる“移籍”を受け入れるか悩む柳橋を後押ししたのは、亡き夫人だったという。「かみさんが『落語を続けたいんだから、取ってあげたらいいじゃない』って」。そして「かけ橋」の名前も夫人が考案した。「当時、(ゆずの)『栄光の架け橋』も流行っていて、両協会の“架け橋”にって、いい名前だと思った」。柳橋は、ゼロから前座修業をすることを条件に入門を許した。かけ橋は「おかみさんと二人きりの時に『急がないでいいよ。大丈夫だから』と言っていただいて、心が軽くなりました」と感謝を口にしている。
三三の元を離れることについて、かけ橋は「自分の出来が悪くて、未熟でした。三三師匠に対して迷惑ばかりおかけした。辞めたのは自分なんで…」と言う。大師匠の柳家小三治さんについても「小三治師匠を尊敬していますし、過ごした時間は財産です」と話している。
柳橋は二ツ目になったかけ橋について、「しっかりしているし、両協会のことを知っているのはすごい武器だと思う。落語協会の先輩方もかわいがってくれている」と飛躍を期待している。
今回の二ツ目昇進が決まり、三三からは、羽織、着物、長襦袢が、柳橋からは帯と羽織紐が贈られた。そして、10月24日に行われる「春風亭かけ橋 二ツ目昇進記念落語会」(日本橋公会堂)には、柳橋、三三がゲスト出演し、口上を行うことが決まった。「自分の会に、師匠(柳橋)と三三師匠に出ていただくのは自分の夢でした」と喜んだ。
目指すべき落語家像についてかけ橋は「自分は落語の持つ空気感が好きで、(観客の時に)いい落語に出会った時に幸せな気持ちになってました。(お客さんに)『今日来て良かった』と、思ってもらえる落語をやりたい」と語る。また、先輩たちの背中を追いかける。柳亭小痴楽、神田伯山、桂宮治ら「成金」で活躍した11人の真打ち昇進披露を前座として見届けた。「すごい盛り上がりで、前座として体験できたことは幸せでした。自分も同じような(真打ち昇進の)披露目をして前座に経験してもらいたい。
昇進で名前は変えなかった。「落語界の、そしてお客さんとの『かけ橋』になれるように頑張りたい」。異例となる2度目の二ツ目昇進にも、かけ橋の決意は揺るがない。