「ボヘミアン」葛城ユキさん死去 6時間前に恩人に電話でお別れ「今から救急車呼ぶ」…復帰したばかり

ハスキーな歌声で観客を魅了した葛城ユキさん(2004年撮影)
ハスキーな歌声で観客を魅了した葛城ユキさん(2004年撮影)
今年5月17日、闘病生活からステージ復帰を果たした葛城さん
今年5月17日、闘病生活からステージ復帰を果たした葛城さん

 ヒット曲「ボヘミアン」で知られる歌手の葛城ユキ(かつらぎ・ゆき、本名・田中小夜子=たなか・さよこ)さんが27日午後2時16分、腹膜がんのため、都内の病院で死去した。73歳だった。個性的なハスキーボイスで人気を博した葛城さんは、2021年4月にステージ4の原発性腹膜がんが発覚。闘病生活を経て今年5月に1年ぶりのステージ復帰を果たし、車いす姿で歌声を届けたばかりだった。

 「ボヘミア~ン!」とシャウトするハスキーな歌声で一世を風靡(ふうび)した葛城さんが天国に旅立った。マネジャーによると、2週間ほど前から容体が悪化。今月17日、千葉県内で昼夜行われた「夢コンサート」に出演し、車いすでベット・ミドラーのカバー「ローズ」を歌唱したのがラストステージになった。

 マネジャーによると「病気が進行して体力的につらかった。声もかすれていた」というが、ソロコンサートに向け情熱を燃やしていたという。

 葛城さんは3日ほど前から、恩師らに感謝の電話をかけていた。「夢コンサート」を主宰する夢グループ・石田重廣社長のもとにもこの日午前8時ごろ、「今から救急車を呼ぶんだ」と電話があったといい「人生は感謝でいっぱい」と別れを告げたという。最期は関係者と実姉に見守られ、静かに眠るように亡くなった。関係者は「声は出なかったが、しきりに『ありがとう』と言っていた」と明かした。

 葛城さんは21年4月に人間ドックでステージ4の原発性腹膜がんが明らかに。抗がん剤治療を受け、今年5月の夢コンサートで1年ぶりの復帰を果たした。車いす姿の葛城さんは「水を得た魚のよう。歌えることは幸せです」とあいさつ。ブランクを感じさせない歌声を響かせていた。

 岡山県出身。1974年にアマチュア歌手の祭典「ポピュラーソングコンテスト」で最優秀曲を受賞。同年の世界歌謡祭でも審査員特別賞に輝き、メジャーデビューした。当時はロックではなく、ニューミュージックの歌い手。個性的な声を持ちながら、長らくヒット曲に恵まれなかったが、79年のレコード会社移籍を機に本格的にロックを始めると、80年にボニー・タイラーのカバー曲「哀しみのオーシャン」が話題に。83年、大友裕子のカバー曲「ボヘミアン」が41・4万枚の自身最大のヒットとなり「ロックの女王」と呼ばれた。86年には日本人女性初の中国公演を成功させた。

 2003年10月、バラエティー番組収録中に大砲のようなセットに入って飛び出す企画(通称・人間ロケット)で全身を強打し、胸椎2か所を骨折。2度の手術を受けた。リハビリ期間を経て、04年にステージ復帰。パワフルボイスを武器に精力的にステージを行っていた。葬儀・告別式は後日、故郷の岡山で営まれるといい、喪主は姉が務める。後日都内でお別れの会を検討している。

 ◆葛城 ユキ(かつらぎ・ゆき、本名・田中小夜子)1949年5月25日、岡山・高梁市出身。片山女子(現・倉敷翠松)高校時代はバレーボール部主将。国体2回、インターハイ2回出場。卒業後、スカウトされ倉紡倉敷に入団。歌手になるため退団し、上京。クラブ歌手を経て74年デビュー。2014年地元・岡山のPRソング「もんげー岡山!」の歌唱を担当した。

ハスキーな歌声で観客を魅了した葛城ユキさん(2004年撮影)
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