プロレス界のレジェンド藤波辰爾(68)が今年、デビュー51年目を迎えた。16歳で日本プロレスに入門し、1971年5月9日に岐阜市民センターでの新海弘勝(北沢幹之)戦でデビューした。スポーツ報知では半世紀を超える数々の名勝負を藤波に取材。「藤波辰爾、50年の名勝負数え唄~WRESTLING JOURNEY~」と題し、毎週金曜日に連載する。50回目は「ベイダーを歓喜の初フォール…1988年6・26名古屋レインボーホール」。
6月24日に大阪府立体育会館で長州力との王座決定戦を制し、IWGPベルトを奪還した藤波を初防衛戦で待ち受けていたのがビッグ・バン・ベイダーだった。
試合は大阪から2日後の6月26日。会場はプロレス初進出の名古屋レインボーホールだった。ベイダーとは4月に大阪、5月に有明で2連戦を行ったばかりだった。
「あのころのベイダーは、まさにバリバリ。僕とは体力差があるし、強烈だったのはグローブをしているんだけどあのパンチ。容赦なく顔面を殴ってきて、僕は意識もうろうになった」
激しいベイダーの攻撃に耐えると13分37秒、一瞬の逆さ押さえ込みでフォールを奪った。ベイダーからの初めてのピンフォールにレインボーホールの観客は総立ちになった。そしてハプニングが発生した。敗れた怒りで場外フェンスをベイダーが壊すとファンがリングサイドまでなだれ込んできたのだ。
「お客さんがリング上にまでなだれ込んできたからね。あれは、僕がお客さんを来させるようなそういうムードを出したんです。確か誰か1人に『来い』みたいなジェスチャーを送っちゃったんです。そうしたら、もう収拾がつかなくなって、あの光景になったんですが、ただ、あれはすごいいい光景でした」
さらに「猪木さんに勝つまではベルトを巻かない」と公言していたが、ベイダーからの初フォールの歓喜で腰にベルトを巻いた。
「あれは試合内容に自分の中で納得感があった。今までの長州、ベイダー戦とは違う満足感があって自分の中で『ベルトを巻いてもいいのかな』と思った。その時のムードで巻いちゃったんです」
ベイダーを突破しIWGP王者として名実共に君臨した藤波。そして、人生最高の名勝負が待っていた。対戦相手はアントニオ猪木だった。(続く)