名門復活を託された早大・花田勝彦新監督インタビュー「学生3大駅伝の優勝を目指す。その上で世界で戦える個人を育てる」

スポーツ報知
早大の「W」ポーズをする早大・花田勝彦監督(カメラ・石田 順平)

 今年の箱根駅伝13位で3年ぶりにシード権(10位以内)を逃した早大は相楽豊監督(42)が退任し、6月1日付けで花田勝彦新監督(51)が就任した。新指揮官はスポーツ報知のインタビューに応じ、名門復活のキーワードとして「温故知新」を挙げた。「科学的な新しい取り組みに加え、昔ながらの練習にも学ぶことがある」と語る。現役時代は箱根駅伝で優勝し、五輪に2度出場。指導者として上武大、GMOインターネットグループを率いるなど経験豊富なOBが早大を「箱根への道」、そして「世界への道」に導く。

 6月1日に正式就任後、花田新監督は、選手一人ひとりと丁寧に面談を重ねている。

 「1万メートル27分台の井川龍人(4年)から5000メートル16分台まで選手層が幅広いことが早大の特徴です。個人目標やチームにどのように貢献したいか、などを聞いています」

 選手数は36人。箱根駅伝出場校としては他校に比べると少ない。

 「確かに選手層が薄いというマイナス面はありますが、チームとしてまとまりやすいというプラス面もあります。駅伝メンバーに入るチャンスも大きい。箱根駅伝は10区間。36人という選手数はネガティブに考えていません」

 昨季、早大は全日本大学駅伝で6区途中まで首位を走り、存在感を発揮。最終的に6位だったが、それでも、きっちりシード権(8位以内)は確保した。しかし、箱根駅伝では1区で16位と出遅れると往路11位。復路も12位と巻き返せずに、13位に終わった。花田監督は当時、チーム部外者だったという立場をわきまえながら敗因を慎重に推測する。

 「練習以上の結果を出そうとしたのではないでしょうか。1の練習に対し、1・1あるいは1・2の結果を出せる選手もいますが、私は基本的に1の練習に対し、1の結果しか出ないと考えています。単純な方程式です。1・2の練習を積むことが出来れば試合で85%の力しか出せなくても1・02になる。だから、練習が大事なのです」

 花田監督は自身の哲学に沿って指導を始めている。早大の一OBとして埼玉・所沢市の練習拠点に足を運び始めた4月、故障者が多く、強度が高いポイント練習をしている選手が10人しかいなかった日もあったという。

 「早大の学生は真面目なので、故障者は一生懸命にバイク(自転車型トレーニングマシン)や筋力トレーニングをしていました。だから、体が大きくなりすぎている選手もいた。それらは一度、リセットし、地道に歩くことから始めました。私も一緒に歩いています」

 走れないなら歩く―。その指導の原点は、早大時代、エスビー食品時代を通じて指導を受けた瀬古利彦さん(現日本陸連ロードランニングコミッションリーダー)にあるという。

 「(1990年に)早大入学する直前の春休みに石垣島の合宿に参加しました。彦根東高(滋賀)は陸上の強豪校ではななかったので、高校のトップ選手のような練習を積んでいませんでした。朝練習もなかったくらいです。体力がなかった私に対し、瀬古さんは『まずは歩こう』と指導された。石垣島は日の出が遅いから午前6時はまだ真っ暗。その中、瀬古さんと一緒に毎朝、1時間以上、歩いたことをよく覚えています。歩くことで少しずつ体力がついていきました」

 花田青年が早大の選手として歩み始めてから32年。現在、早大の選手たちも地道に歩き続けた結果、故障者が減り、ポイント練習に復帰する選手が増えてきたという。

 「早大はスポーツ科学の研究が進んでおり、最新のトレーニングやアイデアがあります。その一方で昔ながらの練習にも学ぶべきことは多い。温故知新。それが伝統のある早大競走部らしさと考えています」

 花田監督は早大3年時の箱根駅伝で優勝。自身も4区区間新記録(当時)と活躍した。卒業後、エスビー食品に進み、1996年アトランタ五輪1万メートルに出場。2000年シドニー五輪では5000メートル、1万メートルに出場し、1万メートルでは予選を通過し、決勝で15位になった。

 「瀬古さんは箱根駅伝だけではなく、常に世界を意識した指導をされていた。日本を代表する選手になることが早大の使命だと思っています」

 高い目標を掲げると同時に、足元を見つめることも忘れていない。今季の箱根駅伝は予選会(10月15日)からのスタートとなる。2004年に上武大の監督に就任した花田監督は5年目の2008年10月の箱根駅伝予選会でチームを本戦初出場に導き、以来、16年に退任するまで8年連続で予選会を突破。予選会の戦いは熟知しており「上武大の集団走は芸術的」とまで言われた。

 「上武大で12年、予選会を戦ったので、そのノウハウはあります。ただ、理想は選手それぞれ個々で考え、単独で走ることです。箱根駅伝本戦は単独で走るわけですから。ただ、予選会は絶対に突破しなければなりません。予選会でどう戦うか。それは夏の練習次第になるでしょう」

 秋の予選会で早大ランナーが単独で走っていればチームは順調。集団走で挑んでいれば、その逆と見ることができそうだ。チーム強化のため、花田監督は早大の力を結集する考えだ。相楽前監督はチーム戦略アドバイザーとして引き続き、選手を指導する。前々任者の住友電工・渡辺康幸監督(49)は早大、エスビー食品を通じて切磋琢磨(せっさたくま)した仲だ。

 「相楽君は今のチームのことを一番よく知っているので頼りにしています。学生駅伝3冠(2010年度)を達成した経験がある渡辺監督には『何でもアドバイスしますよ』と言ってもらっています。現役復帰した(東京五輪男子マラソン6位の)大迫傑選手にも機会があれば話を聞いてみたい、と思っています」

 上武大の監督を退任後、2016年4月から実業団のGMOインターネットグループ監督に転身。21年東京五輪男子マラソン代表補欠の橋本崚(28)、20年福岡国際マラソン優勝の吉田祐也(25)らを指導した。

 「能力の高い選手と一緒に過ごしたことは糧になっています。この経験を早大でも生かしたい」

 近年の大学駅伝界では有力高校生ランナーの勧誘もチーム強化で大きなウェートを占めている。花田監督は選手スカウトについて確固たる信念を持つ。

 「現場の指導力が最も重要と考えています。今の選手たちが強くなれば、多くの高校生に『早稲田に行けば強くなる』と思ってもらえるようになるはずです」

 早大は箱根駅伝で優勝13回、出場91回といずれも中大(優勝14回、出場95回)に次いで歴代2位を誇る。しかし、学生3大駅伝3冠を達成した2010年度を最後に優勝から11年間、遠ざかっている。

 「学生3大駅伝の優勝は当然、目指さなければいけない。その上で個人をしっかり育てていきます。最近、早大出身の長距離選手としては大迫選手以外、日本代表選手はいません。大迫選手のように世界大会に出るだけではなく入賞するような選手を育てたい」

 箱根駅伝は1920年に「世界で通用する選手を育成する」という理念を掲げて創設された。花田監督は、その理念を基に早大を復活に導くつもりだ。(取材・構成=竹内 達朗)

 ◆ヤンマースタジアム長居での思い出

 〇…今回のインタビュー取材は日本選手権会場のヤンマースタジアム長居で行われた。このスタジアムが全面改修されて最初の大会が1996年の日本選手権。1万メートルでは歴史に残る激闘が繰り広げられた。高岡寿成・現カネボウ監督が27分49秒89の好記録で優勝。0秒57差で花田監督が2位だった。さらに1秒51差の3位に渡辺康幸・現住友電工監督が続き、上位3人がアトランタ五輪代表に選ばれた。残り1週まで優勝争いに加わった平塚潤さんも27分55秒16の好記録だったが、涙を飲んだ。当時、世界に近づく好レースだった。「懐かしいですね。今の学生は全く知りませんけどね」と花田監督は苦笑い。その後、表情を引き締め、日本を代表する選手の育成を改めて誓った。

 ◆花田 勝彦(はなだ・かつひこ)1971年6月12日、京都市生まれ。51歳。90年に滋賀・彦根東から早大に入学。箱根駅伝は1年3区6位、2年3区3位、3年4区区間新の区間賞で優勝に貢献、4年2区3位。94年に卒業し、エスビー食品に入社。96年アトランタ五輪、2000年シドニー五輪のトラック長距離代表。04年に引退し、上武大監督に就任。16年から今年3月末までGMOインターネットグループ監督を務めた。

 ◆早大競走部 1914年創部。1920年の第1回箱根駅伝に出場した4校のうちの1校で東京高等師範学校(現筑波大)、明大、慶大とともに「オリジナル4」と呼ばれる。箱根駅伝は優勝13回。出雲駅伝は優勝2回、全日本大学駅伝は優勝5回。2010年度には学生駅伝3冠を達成した。タスキの色は臙脂(えんじ)。主な競走部OBはマラソン15戦10勝の瀬古利彦氏、東京五輪男子マラソン6位の大迫傑ら。

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