【箱根への道】「櫛部! 櫛部!」と叫ぶ早大・花田勝彦監督の姿…第67回箱根駅伝3区で記者と対決

スポーツ報知
91年1月2日、第67回箱根駅伝往路の戸塚中継所で早大・櫛部静二(左)からタスキを受け取る花田勝彦

 今年の箱根駅伝13位で3年ぶりにシード権(10位以内)を逃した早大は相楽豊監督(42)が退任し、6月1日付で花田勝彦新監督(51)が就任した。新指揮官はスポーツ報知のインタビューに応じ、名門復活のキーワードとして「温故知新」を挙げた。現役時代は箱根駅伝で優勝し、五輪に2度出場。指導者としては上武大、GMOインターネットグループを率いるなど経験豊富なOBが、早大を「箱根への道」、そして「世界への道」に導く。

 1991年1月2日。第67回箱根駅伝往路の戸塚中継所。「櫛部! 櫛部!」と叫ぶ花田監督の姿をはっきりと覚えている。

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 その大会で早大は「三羽がらす」と呼ばれた強力ルーキーを1~3区に並べた。1区の武井隆次氏が区間新記録でトップ。2区の櫛部静二・現城西大監督も中盤までハイペースで飛ばし、独走した。しかし、残り3キロで急失速。3区の花田氏が待つ戸塚中継所に歩くようにしてたどり着いた。

 当時、出場15校。櫛部氏は14位まで後退し、13校に抜かれた。唯一、早大を抜けなかったのが低迷期の東洋大。私はその3区だった。櫛部氏―花田氏のタスキリレーを中継エリアの一番、近くで見た。花田氏が戸塚中継所を飛び出してから35秒後。私も鉄紺のタスキを受けてスタートしたが、全く追うことはできなかった。序盤、約200メートル先に辛うじて見えていた臙脂(えんじ)のユニホームはやがて見えなくなった。花田氏は厳しい状況ながら区間6位と健闘。私は区間14位のブレーキだった。

 その後、花田氏は日本のトップランナーとなり、五輪に2度も出場した。同じ年に同じ区間を走ったことは私の一番の自慢だ。

 それから31年。花田氏が伝統校の早大の監督に就任した。今回のインタビューでは興味深い言葉が多かった。ランナーとしては全く追いかけることはできなかったが、記者として、しっかり追いかけたい。(箱根駅伝担当・竹内 達朗)

 ◆花田 勝彦(はなだ・かつひこ)1971年6月12日、京都市生まれ。51歳。90年に滋賀・彦根東から早大に入学。箱根駅伝は1年3区6位、2年3区3位、3年4区区間新で優勝、4年2区3位。94年に卒業し、エスビー食品に入社。96年アトランタ五輪、2000年シドニー五輪のトラック長距離代表。04年に引退し、上武大監督に就任。16年から今年3月までGMOインターネットグループ監督。

 ◆早大競走部 1914年創部。20年の第1回箱根駅伝に出場した4校のうちの1校で東京高等師範学校(現筑波大)、明大、慶大とともに「オリジナル4」と呼ばれる。箱根駅伝は優勝13回。出雲駅伝は優勝2回、全日本大学駅伝は優勝5回。2010年度には学生駅伝3冠。タスキの色は臙脂(えんじ)。主な競走部OBはマラソン15戦10勝の瀬古利彦氏、東京五輪男子マラソン6位の大迫傑ら。

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