中日・立浪和義監督(52)は13日、根尾昂外野手(22)をリーグ戦が再開する17日の巨人戦(バンテリンD)から投手登録に変更することを明かした。指揮官は、投手に重きを置きながら、野手として代打、代走で起用する考えも明言。野手から投手への転向は異例で、プロ4年目で根尾のキャリアが大きく変わることになった。
立浪監督が「投手・根尾」を決断した。札幌市内の宿舎で取材に応じた指揮官は「次のカードから投手登録にします。投手の方が彼の能力が生きる。そこが一番。代打で出ることもあるが、基本は投手で。本人も納得して、やってみたいと」と説明した。
大阪桐蔭高から18年ドラフト1位で中日に入団。当時から二刀流の期待もあったが「試合に出場したい」と遊撃手を選択した。昨季はチーム事情もあり開幕前に外野へコンバート。「8番・左翼」で開幕スタメンにも名を連ねた。立浪監督が就任した昨秋キャンプで本格的に外野に転向。今季開幕前には外野手に登録変更もした。しかし、京田の不振もあり、4月に遊撃へ“再コンバート”を通告され、どっちつかずのまま時が過ぎていた。
転機となったのは5月21日の広島戦(マツダ)。9点ビハインドの8回に“投手デビュー”し、1回を無失点に抑えた。最速150キロの直球にスライダー、フォークなどを駆使し、その後も1試合に救援登板して1回無失点。指揮官は投手としての魅力を「いきなり150キロが出るのと、2試合しか投げていないが、あの状況でストライクが入る」とし「初めは勝っているところではいけないが、どんどん投げさせていこうと。球種も磨きながら将来的には先発を目指してほしい」と続けた。
すでに根尾も準備を進めている。7日からの千葉、札幌のビジター6連戦では、練習中に何度もブルペン入りしていた。指揮官は野手で先発する可能性に「いつまでもどっちつかずではいけない。投手を基本で」と回答。代走での起用については「まだまだ若いし元気。投げない日は野手待機で。何かあれば使っていきたい」と話した。
(長尾 隆広)
◆立浪監督に聞く
―起用法は
「投げる日、投げない日はある。ベンチに5回くらいまで入っているので、もちろん代打で出ることもあるが、基本は投手で」
―1軍に帯同させながら
「そうですね」
―試合前の練習内容も変わる
「投手の練習は、走ることとゴロ捕(球)、けん制、フィールディングとか。遊撃のノックも受けさせているし、それも下半身強化とか投げることにつながる。外野だったら多少長い距離を投げるとか。基本は投手のために野手の練習もしながら。打つ方は気分転換にさせていきたい」
―先発はまだ先
「状況次第。球数も増やしていきながら、最後の方で1回、2回でも投げられればいいなと思っている」
―2軍で調整先発などは
「1軍で投げているのを見て。まだ課題も出てくる。そんな簡単にうまくいくものではないと思う」
―ビハインドの場面から
「そうですね」
◆プラスα
立浪監督の苦悩も感じられた決断だった。岐阜出身の根尾は4球団競合の末、地元球団へ。「根尾ブランド」で話題が先行することもあったが、練習の虫で1年目はオフの日も欠かさずバットを振り込むなど、一つずつ課題を克服してきた。今春のキャンプでも朝6時半に球場入りして準備を怠らない姿は、指揮官の目にも耳にも届いていただろう。
しかし、立浪監督が外野手として根尾に求めたものは「打撃」。遊撃であれば「守備力」。どちらも泥だらけになるまで練習したが、「外野はなかなかライバルが多い。守りは素晴らしいものがある。遊撃は自分も見ながら練習をやったが、本人も『課題が多い』と。なら投手でやってみるかとなった」(立浪監督)。外野から本塁への送球を見て、何度も驚嘆させた根尾の強肩。天性の素材を埋もれさせないためにも、このタイミングは好機になるはずだ。
◆根尾 昂(ねお・あきら)2000年4月19日、岐阜・飛騨市生まれ。22歳。大阪桐蔭高では2年春から甲子園に4季連続出場し、野手兼任ながら17、18年のセンバツ胴上げ投手に。18年夏は主に遊撃手として3本塁打を放ち春夏連覇に貢献。4球団競合の末、18年ドラフト1位で中日入団。プロ通算成績は109試合に出場して打率1割7分2厘、1本塁打、20打点。177センチ、82キロ。右投左打。