巨人・長嶋茂雄終身名誉監督「報知の1面に載ることが世間に認められた証し」スポーツ報知150周年メッセージ

スポーツ報知
1974年8月。ヘルメットを飛ばし三振する長嶋茂雄

 スポーツ報知は、1872年(明治5年)6月10日に「郵便報知新聞」として創刊以来、150周年を迎えました。巨人の黄金期を築き、報知新聞の1面を彩ってきた巨人軍・長嶋茂雄終身名誉監督(86)=報知新聞社客員=が思い出を語った。

 ◆巨人軍・長嶋茂雄終身名誉監督(86)=報知新聞社客員=

 報知新聞はいつも身近にいてくれた。もう、創刊150周年ですか。その約半分はお世話になっているな。本当に感慨深い。86歳になった今でも野球人でいられること、報知の皆さんには心から感謝したい。

 記者やカメラマンには常に見られ、撮られていると意識した。報知の1面に載ることが世間に認められた証しで、モチベーションになった。1974年10月14日の引退試合。ダブルヘッダーの1試合目で通算444号を放ち、2試合目で現役最後の安打を中前に運んだ。「わが巨人軍は永久に不滅です」と引退スピーチ。最後の晴れ舞台と思ったから、翌日の新聞はじっくり見た。なのに、私を担当してくれた、いわゆる「ミスター番」は号泣のあまり、私の引退原稿を書けなかったと聞いた。後日に知った時は笑ったなあ。仲間と助け合い、出来上がった引退紙面は、それはそれで素晴らしい思い出になった。

 監督になってからは遠征先でのお茶会が日課。毎朝、各社担当が約40人集まり、報知は山本理キャップと広岡勲サブキャップのダブル体制。2人が司会進行し、私はリップサービスした。とにかく、お茶代が高くついた(笑い)。

 リップサービスしても足りないのが報知新聞だ。99年の5、6月。ナゴヤ球場での練習日だ。外野のフェンス沿いを歩いていたら、右翼ポール際のスタンドから、御社の山本&広岡両記者が物欲しそうな顔で私をじっと見ていた。「ご両人どうした?」と聞くと「監督、1面なくて困ってます」と泣きついてきた。この時、わざと2人して「困った顔をしよう」と演技していたらしい(笑い)。

 このシーズン、中日が開幕11連勝し、優勝した。巨人は追いかける立場にいて、私はこの状況を世界陸上の男子100メートルに例えた。演技派の2人を前に、あえて腕組みをした。

 「中日はロケットスタートのベン・ジョンソン。阪神はカール・ルイス。60、70メートルあたりから加速していくからね。我がジャイアンツはリロイ・バレルだ。最後、一気に追い込むぞ」

 88年のソウル五輪、91年の世界陸上などを取材したから、特に男子陸上は詳しかった。翌日はばっちり1面だった。しかし、リロイ・バレルはベンにもカールにも大舞台では勝てていないんだよね。だからか、巨人も2位だった。

 報知は勝っても負けても原稿量が多いので、担当には「何を書いてもいいからな。負けたら新聞は読まないから」と伝え、実は隅々までちゃんと読んでいた。気を使って書かれても、私も選手も成長しないからね。スター選手はマスコミによって誕生する。それは今後の野球界においても同じだと思う。報知には永久に巨人を応援してもらいたい。

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