【秘蔵写真】三浦知良「一番の思い出」…93年に長嶋茂雄さんと初対談、ミスターがリフティングに挑戦

スポーツ報知
Jリーグが開幕する1993年のスポーツ報知正月版で、巨人の指揮官に復帰した長嶋茂雄監督の(左)のボールリフティングを見守る三浦知良

 スポーツ報知は10日に創刊150周年を迎える。昭和から平成、令和の各時代で、紙面を彩ってきたスポーツ界の国民的スーパースター&レジェンドから、次の時代に歩むスポーツ報知に厳しくも温かいメッセージが寄せられた。サッカー元日本代表FWで「カズ」の愛称で国民に親しまれる三浦知良(55)は報知紙面との思い出を熱く語り、「いろんなスポーツを盛り上げて」と激励を贈った。=敬称略=

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 報知新聞との付き合いは長いよ。僕が1990年にブラジルから帰国後、日本リーグ(JSL)の読売クラブに加入して、Jリーグ開幕後はV川崎(現J2東京V)所属だったからね。読売クラブ時代、報知新聞は特にひいきにしてくれて、思い出はたくさんあるよ。

 その中でも一番の思い出はJリーグが開幕した93年の正月用の特別版で、巨人監督へ復帰が決まっていた長嶋茂雄さん(現・巨人軍終身名誉監督)と対談したこと。長嶋さんと会うのは初めてだったこともあって、すごく覚えている。(東京都世田谷区にある)砧公園のカフェで対談と撮影をしたんだよね。

 僕はサッカー少年だったけれど、長嶋さんと王貞治さん(現ソフトバンク球団会長兼特別チームアドバイザー)はスポーツ界では別格の存在。その後、王さんとも何回か会ったりしたけれど、長嶋さんとの報知での対談はすごくいい思い出だね。

 (Jリーグ開幕前「サッカー報知」というタイトルで毎日、大々的に報道していた)記者で覚えているのは男の佐々木(信和)さんと女の佐々木(とも子)さんかな。80年代当時は、サッカーがスポーツ新聞の1面を飾ることは信じられないような時代だった。でも、90年代のJリーグができる1、2年前から徐々に1面になるなど大きく扱ってもらえる傾向が出てきた。そのとき盛り上げてくれたのは報知が最初。そして記者の佐々木男女だった。

 当時はコンビニも普及していた。宅配はもちろんだけど、コンビニや駅にある売店で新聞を買う文化がすごく強かった。コンビニの前に立つとスポーツ新聞の1面が見えるんだ。目立つように大きく「カズ」という1面の文字が見えるようになった。全てのスポーツ新聞の1面が「カズ」になっていた時はうれしかったですね。スポーツ新聞の影響力が強い時代だったね。

 94年にイタリア1部・ジェノアに移籍した時など、海外でプレーしていたときも報知の記者はいつも来てくれていた。でも、海外の取材は大変。日本の記者は外国の記者と違って毎日、何かしら記事を書かないといけない。僕としてもネタを提供してあげたかった。例えば、これから髪を切るということだけでもね。記者さんに協力したこともたくさんあったよ。

 (質問=フランスW杯アジア最終予選などで厳しい報道もされた?) 全然ないです(キッパリ)。どんな記事もいつも励みになったよ。

 (質問=今回はONに負けない扱いにするという気持ちで取材?) 気持ちじゃなくてそうしてください(笑い)。小さい扱いじゃダメだよ。“ONK”でお願いしますよ(笑い)。

 (質問=今後の報知についてメッセージを) 150周年の歴史があるスポーツ新聞社は聞いたことがない。報知は野球もそうだけど、サッカーも扱っている。デイリースポーツが「阪神タイガース新聞」と言われているけれど、報知も「読売ジャイアンツ新聞」と言われないように、いろんなスポーツを盛り上げていってください!

◆カズ「俺の息子と長嶋さんが写っているみたい」

 〇…93年の長嶋さんとの写真を持参して見てもらった。「俺の息子と長嶋さんが写っているみたい。当時の長嶋さんは今の俺くらいでしょ?(当時56歳)」と感慨深げ。「格好は俺も変わらないけど、長嶋さんもコンセプトは今と同じ。お互いに変わらないね」と言及。「長嶋さんはお元気? また長嶋さんとお会いしたいなあ」と話してくれた。

◆長嶋さん「三浦さんも私もとにかく若い」

 懐かしい写真だね。三浦さんも私もとにかく若い。世田谷の砧公園で撮影したんだよね。三浦さんとお会いできると聞いて楽しみにしていたのを思い出します。あれから20年以上も経つのか。三浦さんは55歳になった今でも第一線でご活躍されて本当にすごい。いつも応援しています。三浦さんがいるからサッカー人気があるのだと思います。まだまだ現役で頑張って欲しいですし、第二の三浦知良が出てくることを願っています。(長嶋茂雄終身名誉監督=報知新聞社客員=)

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