箱根駅伝13位から復活目指す早大の花田勝彦新監督が就任会見「指導者の理想像は瀬古さん。箱根駅伝だけではなく世界を意識する」

早大駅伝チームを率いることになった花田勝彦新監督(右)は相楽豊前監督から伝統のタスキを受け取った
早大駅伝チームを率いることになった花田勝彦新監督(右)は相楽豊前監督から伝統のタスキを受け取った

 今年の箱根駅伝で13位に終わり、3年ぶりにシード権(10位以内)を逃した早大は2日、東京・新宿区の早大大隈会館で、6月1日付けで就任した花田勝彦新監督(50)の会見を行った。名門復活を託された花田監督は「非常に光栄です。期待に応えられるようなチームづくりをしたい」と抱負を明かした。チーム戦略アドバイザーとなった相楽豊前監督(42)も会見に同席。「令和版の強い早稲田、魅力ある早稲田となることに貢献したい」と話した。

 花田監督は早大時代に箱根駅伝で活躍し、3年時には優勝を経験した。エスビー食品に入社後、1996年アトランタ五輪、2000年シドニー五輪のトラック長距離種目に出場。世界を知る新指揮官は、大きな目標を明かした。

 「指導者の理想像は瀬古利彦さんです」と明言。早大時代、エスビー食品時代を通じて指導を受けた恩師の名前を挙げた。「瀬古さんは箱根駅伝だけではなく、常に世界を意識した指導をされていた。日本を代表する選手になること、日本を代表する選手を育成することが早稲田の使命だと思っています」ときっぱり話した。

 花田監督は2004年1月に引退した後、上武大の選手にメールで指導を頼まれたことをきっかけに同年4月、上武大の監督に就任。5年目の2008年10月の箱根駅伝予選会を3位で突破し、2009年の第85回大会に初出場した。以来、16年に退任するまで連続出場に導き、新興校の上武大を常連校に育て上げた。2016年4月から実業団のGMOインターネットグループ(以下GMO)監督に転身。21年東京五輪男子マラソン代表補欠の橋本崚(28)、20年福岡国際マラソン優勝の吉田祐也(25)らを指導した。きめ細かい丁寧な指導は定評がある。

 上武大では予選会の戦いを熟知し、GMOではトップレベルの選手を指導した花田新監督は、早大復活に向けて最適の人材だ。3月末でGMO監督を退任した花田監督は、すでに4月から埼玉・所沢市の練習拠点に姿を現し、選手を指導。実質、花田監督のもと新たなスタートを切っている。

 相楽前監督は、現在、住友電工を率いる渡辺康幸監督(48)が早大監督を務めていた2015年まではコーチとして活躍し、2010年度には学生駅伝3冠に貢献した。渡辺元監督が退任した後、監督に昇格したが、今回、再び「名参謀」の立場に戻り、花田新監督を支えることになる。

 早大は箱根駅伝で優勝13回、出場91回といずれも中大(優勝14回、出場95回)に次いで歴代2位を誇るが、今季は予選会からの挑戦となる。「学生3大駅伝の優勝は当然、目指さなければいけない。その上で個人をしっかり育てていきます。最近、早大出身の選手としては(東京五輪マラソン6位の)大迫傑選手以外、日本代表選手はいません。大迫選手のように世界大会に出るだけではなく入賞するような選手を育てたい」と花田監督は力強く話す。

 箱根駅伝は1920年に「世界で通用する選手を育成する」という理念を掲げて創設された。花田監督は、その理念に即したチーム作りを進める覚悟だ。

 ◆早大競走部 正式名称は「競走部」で1914年創部。1920年の第1回箱根駅伝に出場した4校のうちの1校で東京高等師範学校(現筑波大)、明大、慶大とともに「オリジナル4」と呼ばれる。箱根駅伝は優勝13回。出雲駅伝は優勝2回、全日本大学駅伝は優勝5回。2010年度には学生駅伝3冠。タスキの色は臙脂(えんじ)。主な競走部OBはマラソン15戦10勝の瀬古利彦氏、東京五輪男子マラソン6位の大迫傑ら。

 ◆花田 勝彦(はなだ・かつひこ)1971年6月12日、京都市生まれ。50歳。90年に滋賀・彦根東高から早大に入学。箱根駅伝では1年3区6位、2年3区3位、3年4区区間賞で優勝、4年2区3位。94年に卒業し、エスビー食品に入社。1996年アトランタ五輪1万メートル日本代表。2000年シドニー五輪5000メートル、1万メートル日本代表。シドニー五輪1万メートルでは予選を通過し、決勝で15位。2004年に引退し、上武大監督に就任。2016年から今年3月までGMOインターネットグループの監督を務めた。

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