【日本ダービー】ノーザンファーム・吉田俊介副代表「ダービーは一番取りたい」 世界にもどんどん挑む

スポーツ報知
ノーザンファーム副代表の吉田俊介氏(左)と対談した小島太氏

◆第89回日本ダービー・G1(5月29日、東京・芝2400メートル)

 3歳馬の頂点を決める第89回日本ダービー(29日、東京)へ向けて、騎手時代にダービーを2勝したスポーツ報知評論家の小島太氏(75)と、昨年のダービーで掲示板を独占し、今年は最大9頭を送り込む生産界の雄、ノーザンファームの副代表でサンデーレーシング代表も務める吉田俊介氏(48)の特別対談が実現した。四半世紀にわたって親交のある2人が、ジオグリフを筆頭に皐月賞で1~4着を占めたノーザンファーム生産馬の力関係、ダービーへの思い、今後の展望などを語り合った。(構成=西山 智昭)

 小島太氏(以下、太)「直接会うのは本当に久しぶり。改めて皐月賞制覇おめでとう!」

 吉田俊介氏(以下、吉)「ありがとうございます。ジオグリフは祖父の頃に輸入してきた繁殖牝馬が基礎となった血統で、僕が小学生で厩舎をうろうろしている頃からひいひいおばあちゃん(ベルースポート=1974~76年に3勝し、繁殖入り)がいたんです」

 太「そうだよね。古いよね」

 吉「それに新種牡馬ドレフォン【注1】という」

 太「それには驚いた」

 吉「父は米国ダートのチャンピオンスプリンター。距離の懸念はずっとつきまとっていたのですが、2000メートルで見事な競馬をしてくれました」

 太「しかし、皐月賞は4着までノーザンファームの馬だったねえ」

 吉「あの日は外を通ってきた馬が最後にきていましたが、4頭とも確かに強いと思います」

 太「2着のイクイノックスにも驚いた。これも初年度のキタサンブラック産駒だったよね」

 吉「産駒は骨格がちょっと薄手に出て、まず上に成長してという馬が多かったので2歳の早い時期から期待するのは酷かなというイメージだったのですが、期待以上の成績を出してくれています」

 太「ジオグリフのサンデーレーシングの代表の前で言うのもあれなんだけど、皐月賞は馬主の異なるドウデュースに注目していて(笑い)」

 吉「素晴らしかったですよね。本当に最後はすごい脚できましたからね」

 太「皐月賞であの脚を見せられるとダービーで、と思わされるよ」

 吉「4着のダノンベルーガは外に出せなかったですけど、外が伸びた馬場だったので力はあるなと感じました」

 太「2ハロン延びたダービーでも勝ち馬はこの4頭から出ると決めちゃってるんだけどね(笑い)」

 吉「確かに枠順、通ってきた位置取りなどで着順が入れ替わる可能性がある4頭だと思います」

 太「実は、私と副代表は結構長いんだよね」

 吉「僕が20代の頃からお世話になっています」

 太「情熱がすごい人。いずれこういうふうに競馬界を引っ張っていくと想像していたわけ。だけど、ここまで早いテンポで躍進したのはビックリしている。昨年は1~5着を独占。ダービー成績を見返すと、副代表に就任したここ数年から出走頭数、勝率も上がっているような気がするんだけど」

 吉「僕がなにかやったわけではないんですけどね(笑い)。継続してやってきたことが結果に表れるようになったのだとは思うのですが、大きかったのは天栄と、しがらきという調教拠点【注2】をそれぞれ10年、11年に始めたことではないでしょうか。大きな決断でしたが、それが良い方向に向かっているのかなとは思います」

 太「やっぱりダービーは特別?」

 吉「一番勝ちたいレースですね」

 太「そう思ってほしい。昔の人たちから大事につくり上げてきたレースなのでね」

 吉「僕も、もうどちらかというと古い部類ですし(笑い)。子供の頃から競馬をやっている環境で育って、大人がダービーを走れるように育てたり調教したりしているのを見てきましたし、すごく大事なレースだと思っています。これまでも、これからも特別です」

 太「私の場合、負けたレースの方が覚えているんだよ。負けたレースは駄目だね。永遠に残るね。75歳になっても夢で乗っているんだから。目が覚めて『あ、そうだ。俺はもう騎手の免許はないんだ』と安心するわけ(笑い)。物心ついた時から目指していたものは、本当に染みついているね。それくらいすごい舞台」

 吉「先生の話を聞いて、ふと思いついたのはフサイチコンコルド【注3】ですね」

 太「キャリア3戦目で勝った馬だったね」

 吉「まだ大学生で現場にはいなかったのですが、あと数年で仕事を始めるという時期で、うちの家族がすごく喜んでいたんですよ。ノーザンファームと社台ファームが分かれた頃で、まだ名義は変わっていなかったんですけどオペレーション自体は分かれていて、試行錯誤しながら一生懸命やっている時に目に見える結果が出たというところで、『僕もそこに加わりたいな』と思ったのを思い出しました」

 太「私は子供の頃にトキノミノル【注4】のニュースを見て感動して。その頃からダービーってすごかったから。調教師をやめて初めてテレビ観戦した時、ブワーッと鳥肌が立っちゃって」

 吉「毎年、僕もそんな感じですよ」

 太「ダービーはもちろんだけど、ノーザンファームとしてはどうするんですか、これから?」

 吉「コロナ禍で海外遠征が少し滞っているところがあったのですが、また去年の秋くらいから挑戦するようにしていまして、これまで以上に成績を出してくれています」

 太「今はみんな凱旋門賞というけど、そんな難しい問題じゃないような気もするけど?」

 吉「凱旋門賞だけは挑戦するたびに難しさを感じています(笑い)。その他ではブリーダーズCで芝、ダートともに勝たせてもらって【注5】、通用するんだという自信になりましたし、その後のサウジアラビア、ドバイでも結果を出してもらって。本当にどんどん世界に出ていかないと、と言うのは改めて感じています」

 太「最後にダービーの今後の展望も聞かせてもらえますか?」

 吉「アプローチの仕方としてはこれまでと変わらないですが、挑戦する機会は一度しかないですし、馬主さんだって毎年チャンスがあるわけではないと思います。早い段階でデビューして、余裕をもって成長させてあげたりというローテーションもダービーを見据えてというのがあると思いますし、いい状態で出してあげられるように常に考えていきたいです」

 ◆吉田 俊介(よしだ・しゅんすけ)1974年4月13日、北海道出身。48歳。祖父は社台グループ創設者の故・吉田善哉氏。父はノーザンファーム代表の吉田勝己氏。慶応大学卒業後、98年からの米国研修を経てノーザンファームに入社。07年から(有)サンデーレーシング代表。15年からはノーザンファームの副代表も務めている。

 ◆小島 太(こじま・ふとし)1947年4月11日、北海道生まれ。75歳。1966年に騎手デビュー。78年サクラショウリ、88年サクラチヨノオーでの2度の日本ダービー制覇など通算1024勝。調教師に転身し、97年に開業。イーグルカフェ(G1・2勝)、マンハッタンカフェ(G1・3勝)などを管理し、18年の引退までに通算476勝。騎手と調教師を合わせて通算1500勝を達成した。趣味は大相撲観戦。

 ◆ノーザンファーム 故・吉田善哉氏が1955年に千葉県に社台ファームを創業。67年に社台ファーム早来を設立し、94年に社台ファームとの分割でノーザンファームとなる。代表は吉田勝己氏。息子の俊介氏が副代表を務める。05年にはディープインパクトで牡馬3冠を達成するなどダービー10勝。JRA・G1は176勝(ほかにJG1・3勝)で重賞は736勝。

 【注1】現役時代は米国の16年ブリーダーズCスプリントなど1200~1400メートルのダートG1・3勝。種牡馬として17年に輸入され、現3歳世代が1世代目。5月22日現在、JRAで芝16勝、ダート46勝。重賞Vは札幌2歳S、皐月賞(いずれもジオグリフ)と芝で挙げている。

 【注2】10年に滋賀県でノーザンファームしがらき、翌11年には福島県にノーザンファーム天栄が開場。栗東、美浦トレセンからそれぞれ移動しやすい立地にあり、広大な敷地には坂路、屋外コース、角馬場、ウォーキングマシンなど両トレセンに勝るとも劣らない設備が整っている。

 【注3】仏ダービー馬カーリアンと種付けを済ませていた母の繁殖牝馬バレークイーンを吉田勝己氏が購入し、国内で誕生。96年1月にデビュー。2戦2勝で挑んだ同年の日本ダービーをグレード制導入後最少キャリアで制し、2戦目で英ダービーを勝った海外の名馬を引き合いに「和製ラムタラ」と呼ばれた。

 【注4】1950年のデビューからレコードを連発しながら勝ち星を積み重ねた。8戦8勝で臨んだ翌51年の皐月賞を制すと、続くダービーも勝ち無傷10連勝を達成した2冠馬。JRAの顕彰馬にも選出されている。

 【注5】昨年11月に栗東・矢作厩舎所属でノーザンファーム生産の2頭が米国競馬の祭典、ブリーダーズC(BC)に挑戦。ラヴズオンリーユーはBCフィリー&メアターフ(芝2200メートル)、マルシュロレーヌはBCディスタフ(ダート1800メートル)を制し、日本馬初の快挙を達成。

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