藤波辰爾「50年の名勝負数え唄~WRESTLING JOURNEY~」<45>「アントニオ猪木へ反旗を翻した飛竜革命【前編】…1988年4・22沖縄・奥武山体育館」

スポーツ報知
藤波辰爾

 プロレス界のレジェンド藤波辰爾(68)が今年、デビュー51年目を迎えた。16歳で日本プロレスに入門し、1971年5月9日に岐阜市民センターでの新海弘勝(北沢幹之)戦でデビューした。スポーツ報知では半世紀を超える数々の名勝負を藤波に取材。「藤波辰爾、50年の名勝負数え唄~WRESTLING JOURNEY~」と題し、毎週金曜日に連載する。45回目は「アントニオ猪木へ反旗を翻した飛竜革命【前編】…1988年4・22沖縄・奥武山体育館」。

 両国国技館での大暴動で幕を閉じた1987年。ビートたけしが率いる「たけしプロレス軍団(TPG)」はファンの猛反発を受けこの1大会で企画倒れで自然消滅した。

 年が明けた88年。ビッグバン・ベイダーは、新日本マットに本格参戦した。初戦の1・4後楽園ホールでアントニオ猪木と再戦し猪木が反則勝ちを収めた。外国人のトップ選手を迎撃するのは、この年2月20日に45歳となった猪木という構図は変わらなかった。

 当時の新日本マットは両国での大暴動に表れたようにかつての求心力を急速に失っていた。背景には、前田日明の解雇があった。猪木に変わる「強さ」の象徴として人気を獲得していた前田は、87年11月19日に後楽園での6人タッグマッチで長州の顔面を蹴り上げ、眼窩底骨折を負わせたことが理由で新日本を解雇された。

 前田は、年が明け新生UWFを設立。旗揚げ戦は5月12日、後楽園ホールに決定。選手は、高田延彦、山崎一夫、中野龍雄(現・巽燿)、安生洋二、宮戸成夫(現・優光)の6人しかいなかったが、ファンは自らの理想に突き進む前田を支持し、逆に年齢と共に「ストロングスタイル」の維持が難しくなった猪木がトップに君臨する新日本は急速に求心力を失っていった。

 大暴動、新生UWFの誕生…新日本の内外でめまぐるしく変わる状況に藤波も危機感を募らせていたが、具体的な行動に移すことはできなかった。

 そして、4月22日、沖縄・奥武山体育館で猪木とタッグを組み、マサ斎藤、ベイダーと対戦する。(続く)

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