【箱根への道】関東学生陸上競技連盟の駅伝対策委員長・上田誠仁氏「沢木イズム」+「小出イズム」で伝統つなぐ

スポーツ報知
箱根駅伝初優勝の写真の前で思い出を語る山梨学院大の上田顧問

 3月末で山梨学院大の陸上競技部の監督を退任し、4月から顧問に就任した上田誠仁氏(63)がインタビューに応じ、37年間の監督時代や順大時代に指導者としての基礎を教わった沢木啓祐元監督(78)、臨時コーチだった小出義雄さん(故人)の思い出などを語った。また、2014年から務める関東学生陸上競技連盟の駅伝対策委員長として第99回箱根駅伝、そして、第100回記念大会への熱い思いを明かした。(取材・構成=竹内 達朗)

 26歳の若さで山梨学院大の監督となり、37年。一校の枠を超えて大学駅伝界の顔だった名将はこの春、監督を“卒業”した。山梨学院大は新たな駅伝プロジェクトをたちあげ、麻場一徳部長(61)が監督を兼任。飯島理彰・駅伝監督(50)と共に駅伝チームの強化を図ることになった。上田前監督は顧問ならび中距離コーチになった。

 「20代、30代、40代、50代と熱量を持って、精いっぱいにやってきました。ただ、これからは顧問として出しゃばるべきではない。サポートできることがあればサポートをしたい」

 監督就任2年目の86年秋の箱根駅伝予選会を突破し、早くも初出場。初陣の87年は最下位(当時出場15校)だったが、翌年から11位、7位、4位、2位と順位を上げ、6回目出場の92年に初優勝を飾った。93年は早大に敗れて2位だったが、94年と95年は早大に競り勝ち、連覇を成し遂げた。

 「当時の早大は本当に強かった。特に94年は前年優勝の早大の下馬評が高かったが、勝つことができた。9区の黒木純(現三菱重工監督)のラストスパートは印象深い。一時、早大の櫛部静二選手(現城西大監督)に猛追されたが、側道に入ってからの残り約200メートルで10秒くらい引き離した。早大というライバルが自分たちを強くしてくれました」

 上田顧問が監督として大きな影響を受けた人物が2人いる。ひとりは順大時代の恩師、沢木元監督だ。

 「沢木先生は昔も今も勉強を続けています。今回、退任したことを報告すると『立場も年齢も関係ない。常に自分を磨きなさい。科学は日進月歩しているのだから』という言葉をいただいた。とても、元気づけられた」

 日本陸上界に名を残す小出さんに学んだこともある。

 「私が順大3年の時、沢木先生は1年間、米国に留学しました。その時、沢木先生が臨時コーチを頼んだのが小出さんでした。シャープな沢木先生とは対照的な指導者でした。当時、順大の練習拠点は千葉の習志野。夏の練習で小出さんは『グラウンドなんかで走っていないで谷津の海岸に行こうや。ビキニ姿のお姉ちゃんがたくさんいるぞ』と。選手たちはのせられて、いつの間にか長い距離を走っていました」

 2000年シドニー五輪女子マラソン金メダルの高橋尚子さんらを育てた名将の小出さんは一度だけ箱根駅伝で実質、監督を務めた。

 「80年の箱根駅伝で順大の監督車(現在の運営管理車)に乗ったのは小出さんでした。『あそこにきれいなお姉ちゃんがいるぞ、カッコ良く走れ』とか言っていましたね。小出さんに乗せられて、5区で区間賞を取ることができました。自分と正反対のタイプの指導者の小出さんに臨時コーチを託した沢木先生もすごい。偉大な2人の監督の薫陶を受けたことは私の財産です」

 上田顧問は14年から関東学生陸上競技連盟の駅伝対策委員長を務めている。箱根駅伝は今年度に第99回大会、来年度に第100回記念大会を迎える。

 「駅伝対策委員長として第100回大会を迎えることに責任を感じています。単なる打ち上げ花火で終わるわけにはいきません。昔は戦争、今はコロナ禍など多くの困難を乗り越えて箱根駅伝は続いている。1920年の第1回大会からの先人たちの思いを引き継ぎ、第101回大会につなげていかなければなりません」

 常に箱根駅伝はどうあるべきか考えている。

 「今、確かに箱根駅伝は盛り上がっていますが、全員が応援している、と考えるのは思い上がりです。交通渋滞などで迷惑だと思っている人もたくさんいるでしょう。公道を走るだけに、ひとりでも多くの人に応援してもらえる大会にならなければならない。選手、マネジャー、監督をはじめ、箱根駅伝に関わる我々に求められるのはインテグリティー(誠実さ)です」

 大きな節目を迎えた上田顧問は今、第26代(1901~09年)米国大統領のセオドア・ルーズベルトの名言を胸に刻んでいるという。

 「『あなたにできることをしなさい。今あるもので、今いる場所で』。山梨学院大の顧問として、関東学生陸上競技連盟の駅伝対策委員長として、この言葉を実践していきたいと思います」

 上田誠仁は「箱根への道」を走り続ける。

 ◆上田 誠仁(うえだ・まさひと)1959年1月9日、香川・善通寺市生まれ。63歳。77年、尽誠学園から順大に入学。箱根駅伝は2年5区1位、3年5区1位、4年5区2位。卒業後、香川県で教員を務め、85年に山梨学院大監督に就任。87年、箱根駅伝初出場に導き、92、94、95年に優勝。2016年は次男・健太(現日立物流)と大会史上初めて監督と選手の父子鷹に。19年、飯島理彰コーチが駅伝監督となり、自身は陸上部全体の監督に。今年4月から顧問。

スカウト不発も爽やか「これからも頑張って」

 ■取材後記 上田顧問と会う時、私は最初の出会いを思い出す。

 1987年9月。高校3年だった私は全国高校長距離1万メートルに出場した。レース後のことだった。当時28歳で、その年の箱根駅伝で山梨学院大を初出場に導いた上田顧問が突然、現れた。高校の恩師の松枝茂樹先生は順大出身で上田顧問の先輩だった。上田顧問は松枝先生に丁重にあいさつした後、私に「山梨学院大で走りませんか」と声をかけた。驚いた。東洋大に推薦入学する話が進んでいることを説明すると、青年監督は「いい走りでした。これからも頑張って」と激励の言葉を残し、爽やかに去った。

 その後ろ姿を見送りながら松枝先生はつぶやいた。「近いうちに山梨学院大は強くなる。上田君は名監督になるだろう」。松枝先生の“予言”は当たった。それから4年4か月後の92年1月、山梨学院大は箱根初優勝を果たした。

 上田顧問にスカウトされたことは自慢であり、誇りだ。私も上田顧問に倣ってルーズベルトの名言「あなたにできることをしなさい。今あるもので、今いる場所で」を胸に刻んで今の仕事を続けたい。(竹内 達朗)

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