「ボクシングの日」に日本人初世界王者の白井義男さんゆかりの後楽園で記念品特別展示…担当記者コラム

スポーツ報知
白井義男さんの記念品展示をながめる日本ボクシングコミッションの長岡勤コミッショナー(カメラ・谷口 隆俊)

 ちょうど70年前の1952年5月19日、プロボクシングで日本人初の世界チャンピオンが誕生した。元日本フライ級、バンタム級2階級制覇王者の白井義男さんが、世界フライ級王者ダド・マリノ(米国)を15回判定で破り、フライ級の世界ベルトを腰に巻いた日だ。

 日本プロボクシング協会は2010年、白井さんが世界の頂点に立った5月19日を「ボクシングの日」と制定。今年は70周年ということで、白井さんゆかりの記念品の特別展示会が準備され、15日にはボクシングイベント「すみだボクシング祭り2022」が行われた東京・墨田区総合体育館で実施。ちょうど70年目の19日には、試合が行われた東京・文京区の後楽園スタジアム(東京ドームの前身)と同じ敷地内にある後楽園ホール興行において記念品が特別展示される。「DANGANオール4回戦Vol.2 東日本新人王予選」が行われる後楽園ホールのロビー殿堂コーナーにおいて、白井さんが世界戦で使用したガウン、トランクスのほか、練習用グラブ、シューズやタイトル獲得時のポスター、写真などが飾られる(入場には観戦チケットが必要)。

 70年前の試合はどんな感じだったのか。ボクシング担当として興味津々だったので、データベースを探ってみると、興味深い内容がたくさん出てきた。古い紙面を眺めていると、いつしか心は70年前に飛んでいた。

 70年前の今日、後楽園スタジアム内には特設リングが作られ、4万人の観衆が集まった。3600円のリングサイド席は7000円のプレミアがついていたが、すでに完売していたという。前年の1951年5月、マリノと初対戦した白井さんは10回判定負けも、同年12月に7回TKO勝ちで雪辱していた。この日、初回から攻めた白井さんは、相手の左右ショートをステップでかわし、マリノの顔面にワンツーを決めた。「最初、マリノさんが接近してこないで後ろに下がる戦法にきたのは、さすがに老巧だったと思った。しかし、1ラウンド終わった時、必ず勝てるという自信がはっきりとついた」

 王者は3回、7回と、得意の左フックで反撃。白井さんはひそかに左フック対策を練り上げていたのだ。8回、足を使った攻撃からワンツー、左右フックでたたみかける。マリノの眉間から血が滴り落ちた。11回は左右フックなどで圧倒。12回には右フックがアゴに決まった。15回まで攻め切った白井さんが3―0の判定勝ちを収めた。マリノは「無条件にタイトルを奪われた。白井は昨年から著しい進歩を見せていた」と完敗を認めた。

 当時、白井さんは28歳で、マリノは36歳。身長158センチ、リーチ162センチの王者に対し、白井さんはマリノより身長が6センチ高い164センチ。リーチも170センチ以上あった。スパーリングではパートナーをダウンさせたこともあるなど、コンディション作りも完璧だったが、逆にマリノは2日前の過食がたたり、試合当日、サウナで2ポンド(約0・9キロ)も落としたという。

 「今日はすべてのラウンドで疲れを感じなかった。私はマリノさんを尊敬するし、大好きです。チャンピオンとしてもマリノさんに恥じぬように努めたいと思います」と敗者をたたえた新王者のコメントが印象深い。

 実は白井さんは小6の時、学校近くに来たサーカスの余興で、カンガルーとのボクシング対決に挑戦。この時、急所にカンガルーのパンチが当たって“反則勝ち”したのがきっかけでボクシングに魅了されたという。戦中の昭和18年(1943年)にプロデビューし、戦後、GHQ職員だった生物・生理学者でボクシング指導者だったアルビン・R・カーン博士の指導のもと、一気に素質を開花させた。

 快挙の夜、すでに球場内の照明が消えても立ち去らない白井を、多くのファンが囲んで喜びを分かち合った。11月のリターンマッチでも15回判定勝ちし、以後、4度の防衛に成功した。

 戦後復興の時期に日本人の希望となった白井さんは、2003年に80歳で永眠された。1988年にマイク・タイソン来日の際に見せてくれた穏やかな笑顔が忘れられない。「ボクシングの日」が来るたびに白井さんの偉業をたたえ、後進には「ボクシングの灯」をさらに明るくしてほしいと願っている。(ボクシング担当・谷口 隆俊)

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