日テレ・河村亮アナの信念「最高の黒子にならないといけない」54歳急死「痛烈!」「一閃!」巨人戦名実況

16年、東京ドームの放送席で巨人戦を実況する日本テレビアナウンサーの河村亮さん
16年、東京ドームの放送席で巨人戦を実況する日本テレビアナウンサーの河村亮さん
菅野(左)を取材する河村さん
菅野(左)を取材する河村さん
18年、お立ち台で阿部(右)をインタビュー
18年、お立ち台で阿部(右)をインタビュー

 日本テレビの河村亮(かわむら・りょう)アナウンサーが14日に脳出血のため都内の病院で亡くなっていたことが16日、明らかになった。54歳だった。河村アナは1991年に同局に入社し、主にスポーツ実況アナとして活躍。巨人戦を中心としてプロ野球中継、箱根駅伝などを担当し、G戦士からも絶大な信頼を集めた。通夜・告別式は関係者のみで営まれる。

 スポーツの感動と魅力を的確な言葉と名ゼリフで伝えてきた河村さんが亡くなった。この日、所属する日テレが明らかにした。

 同局によると、最後の出演は3月19日、ラジオ日本の「日テレアナ・ザ・ワールド!」(土曜・後10時半)。日テレアナが交代で出演する番組に久野静香アナとともに出演し、開幕前のプロ野球の魅力を語った。テレビの仕事は3月3日のBS日テレのプロ野球中継オープン戦、巨人・西武戦(東京D)での巨人のベンチリポートが最後。関係者によると、肝臓が思わしくなく4月末から入院していたという。

 主にスポーツ実況を務め、プロ野球では、94年に実況デビュー。東京Dに足しげく通い、取材相手との関係を築いた。12年の巨人の3年ぶり22度目となる日本一の瞬間を実況。13年5月5日には、長嶋茂雄・巨人軍終身名誉監督と松井秀喜氏の国民栄誉賞授与式と試合のほか、20年の巨人のリーグ優勝も実況した。本塁打の際の「痛烈!」「一閃(いっせん)!」という実況が“代名詞”となり、ファンの間で浸透していた。

 野球以外での名ゼリフも残した。09年のゴルフ日本シリーズでは丸山茂樹の10年ぶりの優勝を「歓声の中心に丸山が帰ってきました」と伝え、箱根駅伝も長年担当。1号車の担当を05年、09~18年と11度務めた。07、08年はフィニッシュ実況を担当。07年の83回大会では「山の神、ここに降臨。その名は今井正人」と5区で区間新記録を達成した順大・今井をたたえた。

 ソフトで丁寧な人柄で、主役は選手との信念を貫いた。過去のインタビューでは「いかに主役たちの魅力、競技の醍醐(だいご)味を伝えるかが私の仕事。最高の黒子にならないといけない」とポリシーを語っていた。

 90年代にはバラエティー「ウッチャンナンチャンのウリナリ」にも出演。「ウリナリ芸能人社交ダンス部」では蝶(ちょう)ネクタイ姿で実況をするなど、違う一面も見せていた。入院中、病室には箱根駅伝を実況する映像も流されていたという。現場にこだわり、スポーツ実況に心血を注いだ、名物アナが静かに人生の幕を下ろした。

 ◆河村 亮(かわむら・りょう)1967年6月、神奈川・茅ケ崎市生まれ。新潟市で育ち、新潟高から早大政経学部に進み、91年に日本テレビ入社。アナウンス部でスポーツ実況だけでなく、バラエティー番組でも活躍。ジャパンコンソーシアム(JC)の一員として五輪に3度(06年トリノ冬季、16年リオデジャネイロ、18年平昌冬季)派遣。19年にアナウンス部専門部長。血液型B。身長172センチ。家族は妻。

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