4月13日にがんで亡くなった増尾健さんへ 桐蔭横浜大サッカー部が掲げた初の日本一 

スポーツ報知
(左から)増尾さん、桐蔭横浜大3年の梁充虎、同・高木俊希=桐蔭横浜大提供=

 桐蔭横浜大サッカー部が悲しみに包まれた。4月13日に分析担当の増尾健さんががんのため、20歳で亡くなったからだ。3日後の関東1部リーグ・明大戦では安武亨監督は「健をいい形で送り出そうとしか話していなかった」。相手の細かい分析や対策を伝えるのではなく、選手の気持ちに訴えかけた。増尾さんのためにユニホームを作り、ベンチに掲げたが0―2。4試合目で今季初黒星だった。指揮官は試合後に取材の最中、「まだ20歳ですよ…かわいそうで…」と人目をはばからず大粒の涙をこぼした。19日のお通夜に全部員が参列し、最後のお別れをした。

 増尾さんは中学2年で骨肉腫を発症。プレーは出来なかったが、どうしても競技に携わりたいと湘南学院高で分析を担当した。そして強豪・桐蔭横浜大の門をたたいた。足を引きずりながらもグラウンドに顔を出した。J2甲府内定のMF水野颯太が悩んでいると、海外選手の映像を見せて「参考にしてください」と渡した。プロ注目のFW山田新は「サッカーが大好きだった。健みたいにやりたくても出来ない人がいる中で、サッカーをできる僕たちは幸せ」。増尾さんの姿にイレブンは力をもらった。試合や練習で厳しい瞬間も踏ん張れるようになった。

 それでも病魔が増尾さんの身体をむしばんだ。昨夏頃にがんが転移したからだ。鼻血が止まらくなるなど症状が見え始めると、昨年12月には目が見えなくなった。それでも春先にはグラウンドに姿を現し「回復しました」と気丈に振る舞った。余命宣告は出ていたが指揮官は病状を部員には詳しく伝えなかった。それでも部員は1日でも早い復帰を願ってラインを送り、励ました。増尾さんは亡くなる3日前まで返信をしていたという。

 だからこそ13日に亡くなったことが指揮官から伝えられたときは衝撃が走った。水野は「こんなに余命が短いだなんて思わなかった」。亡くなった後は部員が増尾さんにメッセージを送った。家族は亡き増尾さんを前に、メッセージを1つ1つ読み上げた。OBの動画を送った者もいた。増尾さんが愛されていた証拠だった。

 チームは、増尾さんのために初の大学日本一を目標に掲げた。関東1部リーグ戦で6位以内なら3年ぶりの全日本大学選手権の出場権をつかめる。14日は増尾さん亡き後リーグ戦2試合目の東洋大戦(保土ヶ谷)。J1広島内定のDF中野就斗主将は「達成して、いい報告ができたらいい」。指揮官も、「健はうちにきて良かったと思ってくれているはず」と話した。亡くなって約1か月。イレブンは天国の仲間に白星を捧げるつもりだ。(サッカー担当・山田 豊)

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