北澤豪と100万人の仲間たち<34>JICAオフィシャルサポーター就任とシリアでのパレスチナ難民キャンプの子どもたちによるJICAカップ

スポーツ報知
シリアで行われたパレスチナ難民キャンプの子どもたちによる「JICAカップ」のポスター。中央には北澤のイラストが

 元サッカー日本代表、北澤豪氏(53)。波瀾万丈の競技人生を疾走し、現在は世界の子どもたちを支援する環境づくりを目指している。その軌跡とビジョンを、ノンフィクション作家の平山讓氏が独占取材。毎月10日と25日に記事を公開していく。

 ザンビアから帰国した北澤は、自らを初めてアフリカの地へと派遣してくれたJICAから新たな提案を受けた。さまざまな問題を抱える開発途上国の現状と、そしてJICAの活動とを、現地視察を通じて多くの人々に伝えて理解してもらえるよう協力してほしい、というものだった。

 「JICAオフィシャルサポーター」。

 これより2年前の2002年から、アジア出身女子選手として史上初となる世界ランキングトップ10入りを果たした元プロテニス選手の伊達公子がその役割をすでに担っていた。2人目として彼が選ばれたのだった。

 「豊かで平和な日本で暮らしているとほとんど知る機会がない開発途上国の問題は、たくさんあることがわかりました。カンボジアではかつての内戦による大量虐殺の影響や、いまだ続いている地雷の被害がありました。ザンビアではエイズやマラリアの蔓延や、貧富の格差がありました。そうしたことを一人でも多くの日本人に理解してもらうことは意義があると思えたし、それに何より僕自身が、これからも多くの国々を訪れて、そうした問題をこの目で見て、もっと世界のことを知りたかったんですよね」

 JICAオフィシャルサポーター就任を快諾した彼の、初となる視察先が決定した。中東のシリア・アラブ共和国、通称「シリア」。西は地中海に面し、北にトルコ、東にイラク、南にヨルダン、西にレバノン、そして南西にイスラエルと国境を接する「東西文明の十字路」。その国のことを北澤は、渡航前には詳しく知らなかった。「ドーハの悲劇」のカタールを始め、オマーン、サウジアラビアなど湾岸諸国は何度か訪れているが、シリアへは初めての訪問となる。

 「シリアにはパレスチナ難民が多く(約65万人、国際連合パレスチナ難民救済事業機関=以下UNRWA調べ)、子どもの割合も多いと聞きました(約25万人、UNRWA調べ)。その子たちは難民キャンプに隔離されたような生活を強いられていて、ほとんど街に出る機会がないと。そんな状況が気の毒に思えたし、行くにあたって、またボールを持参するだけではなく、何か僕にできることはないかなと考えていました」

 すると、JICAよりある提案があった。日本の約半分の面積のシリア各地に点在するパレスチナ難民キャンプから「首都のダマスカスに子どもたちを集めてサッカー大会とサッカー教室を開催してはどうか、というものだった。

 「各難民キャンプを代表してサッカー大会に出場するという、いわば大義名分があれば、いつもはキャンプの外に出してもらえない子どもたちも、きっと大人たちから快く送りだしてもらえるんじゃないかと。とてもいいアイデアに思えたし、サッカーならもちろん僕も力になれるでしょうから、ぜひやりましょうと」

 2005年2月16日、日本から空路で約16時間かけてダマスカス国際空港に降りたった。

 中東といえば、あのドーハの灼熱の試合が想起されたが、冬のシリアは寒かった。夜の外気温は摂氏3度と、東京とさほど変わらなかった。

 その空港で、北澤は衝撃的なニュースを耳にした。到着より2日前の2月14日、シリアの隣国レバノンの首都ベイルートで自動車列への爆破テロ攻撃があり、レバノンのラフィーク・ハリーリー首相が暗殺されたという。死者は首相の他21名、負傷者は100名以上。レバノンに駐留するシリア軍撤退問題を巡り、即時撤退派の同首相はシリアと対立していたとされており、爆破テロにはシリアの関与を疑う観測もあった。

 「シリアというと、戦争というイメージが強かったですけど、それは過去の話なんかじゃないんですよね」

 すでにシリアはアメリカ主導の経済制裁を受けているさなかで、首都ダマスカスは物資が慢性的に不足しており、なおさらにパレスチナ難民キャンプはUNRWAからの食糧援助等がなければ生活が成り立たなかった。そんなキャンプから、果たして子どもたちは、サッカーをするために、ダマスカスにある競技場へ集まることができるのだろうか。

 JICAカップ開催当日。市内にあるサッカー場に着くと気温は18度まで上昇し、雨季ではあるが晴れ間も見えて、絶好のサッカー日和となった。

 UNRWAが支援するシリアの小中学校へは、7名のJICA海外協力隊が派遣され、子どもたちへの実技教育(スポーツや音楽)を行っていた。その隊員たちが、部活動などまったく下地のないところから子どもたちにサッカーを指導し、チームを組織し、そしてこのJICAカップへの出場を目指してこの日を迎えた。

 「僕がピッチへ足を踏み入れると、もう子どもたちは僕を待ち構えるようにして拍手で迎えてくれました」

 グラウンドに集まったのは、シリア国内の10カ所の難民キャンプから、全8チーム、総勢120名の中学生たち。シリア・アディダスが8チーム全員分を無償提供してくれたとのことで、選手たちは色とりどりの真新しいユニフォームを身にまとっていた。

 「この光景を見ただけでも、JICAカップの意義を感じることができました。僕も子どもの頃にサッカーで、たとえば山梨に遠征したとき、富士山や富士五湖など珍しい景色を見たり、知らない子どもたちとプレーしたり、そんなことがとても新鮮で、いい思い出になりました。この大会も、単なる勝ち負けを競うものではなく、難民キャンプを出てから帰るまで、すべてが社会経験になるようなものにできると。難民キャンプの子どもたちは、生まれてからずっと同じ場所に閉じこめられてきたわけですよね。だけど、外にも世界は広がっているんだよと。大きな街もあるし、たくさんの人々がいるし、そして自分たちと同じような境遇の子どもたちが、やはりサッカーをやっているんだよと。そんなことを知ってもらうきっかけになればいいなと思いました」

 観客席には、地元ダマスカスの3チームのチアガールたちや、地方都市のアレッポ、ラタキア、ハマー、ヒムス、ダルアの各地からバスに乗ってやってきた応援団なども駆けつけて会場の雰囲気を盛り上げた。

 「このJICAカップがあることで、日本の町内会ではないですけど、大人たちが子どもたちのために、一生懸命動いてくれたと聞きました。選ばれた数名の選手たちだけではなく、その応援という名目で、多くの子どもたちを会場へ送り出してくれたんです。観客席にいる大勢の子どもたちの楽しげな姿を目にしただけで、僕は感動して、胸がいっぱいになりました」

 1946年にシリア・アラブ共和国としてフランスより独立後、その近代史は戦争の連続でもあった。1951年以降、クーデターで幾度となく政権が転覆。1964年のハマー動乱、1967年の第三次中東戦争、1973年の第四次中東戦争、1976年のレバノン内戦でのレバノン駐留開始、さらにはその後2011年から現在まで続くシリア内戦…。

 けれども、この日のスタジアムでは、それら大人の事情とは無縁の、難民キャンプの子どもたちによるサッカーボールを蹴る音や、彼らへ送られる声援が、日暮れ近くまで響いていた。(敬称略)=続く=

 ◆平山讓(ひらやま・ゆずる) 1968年、東京生まれ。作家。ノンフィクションや実話を基にした物語を数多く手がける。主な著書は「ありがとう」(講談社/東映系にて全国ロードショー)、「ファイブ」(幻冬舎/NHKにてドラマ化)、「4アウト」(新潮社)、「パラリンピックからの贈りもの」(PHP研究所)、「中田翔 逃げない心 プロ野球選手という仕事」(主婦と生活社)など多数。

 〇…北澤氏はゴールデンウイークも大忙しだった。3~5日は「東京国際ユース(U-14)サッカー大会」(福島・Jヴィレッジ)の大会アンバサダーとして開会式に出席し、激励のあいさつ。また、同日程で行われた「JA全農杯 全国選抜小学生サッカー大会」(横浜・日産スタジアムなど)でも大会アドバイザーとしてグループ予選などを視察、さらに準決勝、決勝の3試合は解説も務めた。年々レベルが上がる両大会。東京国際ユース大会は東京都トレセン選抜、全国選抜小学生大会は鹿島アントラーズつくばジュニアが優勝した。

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