中村憲剛氏 オシム監督が何を言ってくれるのかと代表が楽しみだった。「ブラボー」と言われたくて気合が入った

2006年10月、練習で初代表の中村憲剛(手前)の動きをチェックするオシム監督
2006年10月、練習で初代表の中村憲剛(手前)の動きをチェックするオシム監督

 元サッカー日本代表監督で、1日に80歳で亡くなったイビチャ・オシム氏の突然の訃報から一夜明けた2日、オシム・ジャパン主軸の一人、元日本代表MFの中村憲剛氏(41)がスポーツ報知の取材に応じ「誰よりも日本人の可能性を信じてくれた」と名将に感謝した。オシム氏の葬儀は故郷のサラエボで執り行われる予定。

 オシムさんの訃報を耳にしたのは、1日の撮影直前でした。混乱しました。現役を引退する時にいただいたメッセージのお礼に、コロナが下火になったらうかがおうと決めていましたが、お会いできず、このような形となってしまったことが悔しくて仕方ありません。

 日本代表では、よく怒られました。千葉の選手から「期待される選手がよく怒られる」と聞いて以降は、自分もプレーの意図を監督に積極的に話すようになりました。オシムさんは決して答えをくれません。意見を聞いた上で「では、この判断はどうか?」と選択肢を提示します。何を言ってくれるのだろうと毎回の代表が楽しみで、監督に「ブラボー」と言われたくて気合が入ったのを覚えています。

中村憲剛(右)にマンツーマン指導するオシム監督
中村憲剛(右)にマンツーマン指導するオシム監督

 忘れられない出来事がありました。07年6月のモンテネグロ戦。1―0で迎えた後半、私はエリア内でチャンスを迎えました。横の山岸にパスを出せば1点。それを分かった上でシュートし、外しました。ベンチに戻ると、鬼の形相をした監督から「ヤマ(山岸)が見えていなかったのか」と問われ、「見えてましたが、自分で決められると思った」と返すと「それならいい」で会話は終わりました。

 翌日の新聞で、監督が会見で「新聞の1面になるために目立とうとして、我を通した選手がいた」と名指しで私を批判した記事が上がりました。「俺のチームではこのプレーは許さん」という基準の提示にほかなりません。そこから、より判断の質にこだわるようになりました。1点の重みを理解している監督で、何より自分たちへ愛情を注いでくれた監督だったからです。

 日本人の可能性を信じ、真剣に向き合ってくれました。海外サッカーをリスペクトしつつも、決して上に見過ぎることはありませんでした。FWは守備の1番手、サイドバックだってゴールを奪いに走る。どの選手にもポリバレント(多様性)を求めました。いいポジションから「タイミング良く走る」はポジショナルプレー(選手の立ち位置で優位に立つ)に通じています。今では当たり前ですが、15年以上も前、私たち日本人の可能性を信じて全力で指導してくれました。

 私にとっては日本代表の監督であり、愛情を持って叱ってくれる親のような存在でした。本当に惜しい人を亡くした。感謝の言葉以外、今もこれからも浮かばない。心よりご冥福をお祈りいたします。(元日本代表、川崎MF・中村憲剛)

2006年10月、練習で初代表の中村憲剛(手前)の動きをチェックするオシム監督
中村憲剛(右)にマンツーマン指導するオシム監督
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