73歳・藤原喜明と74歳・藤原敏男が演出した令和の「四角いジャングル」プロレスとキックどっちが強い?

“関節技の鬼”藤原喜明(左)と“キックの神様”藤原敏男
“関節技の鬼”藤原喜明(左)と“キックの神様”藤原敏男

 “関節技の鬼”藤原喜明(73)と“キックの神様”藤原敏男(74)が昭和の格闘技ブームの雰囲気を“聖地”後楽園ホールによみがえらせた。27日に東京・後楽園ホールで開催された日本骨髄バンクチャリティCHAKURIKI15「帰ってきた藤原祭」(報知新聞社後援)でW藤原が初タッグを結成した。

 キックボクシングの初代全日本ライト級王者で日本で初めてムエタイのラジャダムナン・スタジアム認定ライト級王者となった敏男の記念大会「藤原祭」は、2014年6月以来8年ぶりの開催。本来なら昨年3月3日の敏男の誕生日に開催予定だったが、コロナ禍による延期で、何の因果か、喜明の誕生日に開催されるという「藤原祭」となった。

 ともに岩手出身の1歳違い。「生涯現役」を宣言している。原点は、1978年に劇画作家の梶原一騎氏がプロデュースした記録映画「格闘技世界一 四角いジャングル」。新日本プロレスのアントニオ猪木(敬称略)が主演し、新格闘術から藤原敏男が出演した。喜明は猪木の付き人兼スパーリングパートナーとして一連の異種格闘技戦に同行していた。敏男は新日本プロレスのビッグマッチでもキックルールの試合をするようになり、新日本の道場でも練習。「岩手出身のプロレスラーがいるんだ」と喜明を意識するようになった。階級が違うがヘビー級の喜明も「どれぐらい強いんだろうか、やってみたい」と一目置いていた。飲んでタメ口でバカ話ができるようになったのは還暦を過ぎてからだ。

 「四角いジャングル」シリーズは三部作になるヒットとなり、テレビ朝日系「水曜スペシャル」の特番など、昭和の格闘技ブームを築いた。当時の新日本プロレスは会場が殺伐としていた。現在のプロレスはイケメンでマッチョなライブだが、「藤原祭」は昔ながらのキックの興行で、16日に60周年を迎えた後楽園ホールは、血と汗と客席の香水の臭いで、あの頃の雰囲気が充満していた。

 キックの試合は秒殺ありドクターストップありの激しい9試合。そのインターミッションとして、格闘技スペシャルエキシビションマッチが行われた。70代の敏男と喜明は、キックの藤原国崇とトリオを結成し、キックの藤原あらし、藤原康平、プロレスの藤原秀旺と藤原だらけの6人タッグとなった。敏男はタイガーマスクをかぶり、一升瓶をデザインした虎のマントを着用して杖をつきながら登場。喜明は感染防止のマスクを付けて入場し、コントのようなチャリティーマッチとなった。

 当初は2分2回戦の予定だったが、時間無制限1本勝負に変更され、キック、関節技、ヘッドバットの応酬となった。主役の敏男がコーナー最上段からミサイルキック(もどき)を放ったところまでは良かったが、敏男と喜明が仲間割れして6人が入り乱れ、敏男がサーベル攻撃で大暴れしたところで反則負けに。元K―1王者のピーター・アーツ氏、パーキンソン病で療養中の初代タイガーマスクの佐山サトル氏もリングサイドで観戦し楽しんでいた。

 額に血をにじませた喜明は、口にマスクを付けて花道を下がり「俺は”関節炎”の鬼。体があちこち痛いよ」と誕生日マッチを無事に終えてニヤリ。敏男はマイクを握り「私の大親友で大悪友の佐山先生が、年末の藤原祭で、また暴れようとしています。2人で暴れることをタイガーマスクが約束しますから、みなさん、またお越し下さい」とあいさつした。プロレスの集客力を知っている敏男はプロレスラーとからむことで、地道に強さを求めるキックの後輩たちの試合にスポットライトを当て「四角いジャングル」を令和の時代に届けている。(酒井 隆之)

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