【箱根への道】青学大・佐々木塁は完全試合投手・佐々木朗希と元チームメート…震災以来会えない旧友の活躍励み

スポーツ報知
同姓で同郷のロッテ・佐々木朗希投手の活躍に刺激を受けている青学大・佐々木塁

 プロ野球ロッテの佐々木朗希投手(20)が10日のオリックス戦で完全試合を達成した。さらに17日の日本ハム戦でも8回まで完全投球。日本野球史に残る投手と同じ岩手・陸前高田市内の小学校に通い、同じ少年野球チームに所属していた青学大の佐々木塁(3年)がスポーツ報知のインタビューに応じた。ともに父を亡くした2011年3月11日の東日本大震災の後、会っていない旧友の活躍を励みに、今年の箱根駅伝で完全優勝した青学大でメンバー入りを目指す。(取材・構成=竹内 達朗)

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 2022年4月10日。佐々木朗希が日本プロ野球新記録の13連続含む同タイ記録の19奪三振で完全試合を達成した。岩手・陸前高田市立高田小で同級生だった佐々木塁は同じ日、静岡・焼津市で行われたハーフマラソンに出場。2人1組で争う大学対抗の部で1時間6分6秒で15位だった。自己ベスト(1時間3分27秒)から遅れた結果を厳しく自己評価した。

 「30点です。暑かったけど、言い訳にはなりません」

 午前中にレースを終え、東京・町田市の青学大選手寮に戻った後、旧友の衝撃的なニュースを知った。

 「朗希君が13連続奪三振をした、と知りました。その後、ずっとスマホでチェックしていました。すごい。その一言です」

 陸前高田市出身の20歳。野球が好きだった父・敏行さんに「塁」と名付けられた。小学生になると、高田スポーツ少年団の野球チームに入団。そのチームメートのひとりが朗希で、小学校も一緒だった。

 「低学年チームで朗希君は投手で、僕は二塁手でした。朗希君は同級生より20センチくらい大きかった。野球がすごくうまくて、投げるボールはすごく速かった。同じ佐々木でも親戚ではありませんけど、お互いの家に遊びに行ったりするほど仲が良かった」

 小学校3年生が終わる頃、生活が一転した。11年3月11日、東日本大震災が発生。塁と朗希はともに津波によって父を亡くした。

 「地震後、母(勤子さん)とは高台ですぐに会えたんですけど、父とは会えなくて、3日後に…。朗希君も家族を亡くしたことは後で知りました」

 4年生になった時、塁は盛岡市へ、朗希は大船渡市に転居した。

 「あの時以来、朗希君と会っていません」

 小学生から走ることが好きだった塁は河南中に入学後、陸上部に入部。才能はすぐ開花した。1500メートルで4分4秒00と、現在も塗り替えられていない中学1年日本記録を樹立。2年時に4分0秒01の中学2年日本記録(当時、現在歴代4位)、3年時に3分53秒69の中学日本記録(当時、同3位)を出し「天才中学生ランナー」と呼ばれた。

 「400メートル8本、1000メートル3本など普通の中学生の練習メニューだったと思います。練習の意図をしっかり考えて走るようにしていました」

 県内外の強豪校から勧誘を受けたが、盛岡一高に進学。石川啄木や宮沢賢治も通った岩手有数の名門校だ。

 「負けず嫌いなので勉強も妥協したくなかった。盛岡一高は全国高校総体で優勝した先輩もいて、陸上も強かったです」

 1年時に国体3000メートル3位。2年時に国体800メートル6位。3年時に国体800メートル8位。安定した成績を残し、20年に大学駅伝界の雄、青学大に入学した。

 「大学では長距離で勝負したい、と思っていました。高校2年の3月に青学大から声をかけてもらい、一番強いチームに行くことを決めました」

 覚悟を持って青学大に入学したが現実は厳しく、1年時は存在感を示せなかった。2年目、朗希が1軍デビューを果たした時期と同じくして、塁も5000メートル、1万メートル、ハーフマラソンで自己ベストを連発。昨年12月25日、箱根駅伝の登録16人から外れた選手による1万メートル学内記録会、通称「箱根駅伝0区」では非公認記録ながら自己記録を超える29分13秒0(手動計時)で7位。青学大で「23番手」まで浮上した。

 「1年生の時は故障がありましたが、2年生から大きな故障がなく、継続して練習ができています」

 今年の箱根駅伝で総合新記録(10時間43分42秒)の完全優勝を飾った青学大ではメンバー争いに絡むことができなかったが、下位校であれば箱根駅伝に出場する力を蓄えた。それでも、塁はきっぱり言う。

 「青学大で箱根駅伝を走ることに意味がある。他校なら箱根駅伝を走れるかも、という思考はありません」

 そして3年目。野球界のトップに躍り出た朗希に刺激を受けて塁も飛躍を期す。地道に練習を積む塁を原晋監督(55)は高く評価する。「3年目は箱根駅伝の16人登録メンバー入りが現実的な目標になる。4年目はアンカーを走ってほしい。競技と学業で努力を重ねる爽やか青年だから、第100回箱根駅伝の優勝のゴールテープを切るにふさわしい選手です」と得意の“原節”で期待する。

 「原監督がいつも言う通り、半歩ずつ前進して3年目に登録メンバー入り、4年目に箱根駅伝を走りたい。卒業後も競技を続けて将来、マラソンを走りたいです」

 実は、朗希が完全試合を達成する1週間前のロッテ―西武戦(3日)をZOZOマリンスタジアムで生観戦した。朗希はその一戦からメジャー記録(46人)を超える52人連続凡退の「世界記録」を続けている。

 「(相模原キャンパスで)練習を行った後に千葉に行ったので、球場に着いた時、もう5回だったけど、朗希君を近くで見られて、うれしかった」

 朗希は8回13奪三振1失点で今季初勝利。ヒーローインタビューを受けた。塁はその様子を撮影し、その画像を大切に保存している。

 「小学生の時から大きかったけど、もっと大きく見えた。朗希君に少しでも近づきたい。いつか会いたいですね」

 それぞれの道を歩む2人のR・SASAKI。その物語は、まだまだ続く。

 ◆佐々木 塁(ささき・るい)2001年7月20日、岩手・陸前高田市生まれ。20歳。盛岡市立河南中3年時に1500メートルで3分53秒69の中学日本記録(当時)をマークした。20年に盛岡一高から青学大国際政治経済学部に入学。2年時までは学生3大駅伝未出場。2年時に関東学生新人1500メートルで2位。自己ベストは5000メートル14分3秒13、1万メートル29分13秒65、ハーフマラソン1時間3分27秒。168センチ、55キロ。

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