新日本と全日本を融合させた後楽園ホールのプロレス愛…“格闘技の聖地”61年目の始まり

スポーツ報知
新日本と全日本のマークを融合させた後楽園ホール「還暦祭」限定Tシャツ

 東京・後楽園ホールの開業60周年を祝う還暦祭が「50周年 新日本プロレス+全日本プロレス」として16日に開催された。後楽園ホールは1962年4月16日の報知ダイナミックグローブ(高山一夫がオスカー・レイスに判定勝ち)でこけら落としされてから60年。新日本は1972年3月6日にアントニオ猪木が大田区体育館で、全日本は1972年10月22日にジャイアント馬場が日大講堂で旗揚げ戦を行ってからともに50年。この3つの節目を見事にまとめた興行だった。

 チケットは早々に完売し、観衆は「満員札止め1588人」と発表された。この大会を主催したのは後楽園ホールを運営する株式会社東京ドーム。団体ではなく会場が主催する初のプロレス興行だった。後楽園ホール支配人を務める東京ドームのホール部・高山和彦部長(57)は「これだけのお客さんが来て頂けるのは、コロナ禍以来、初めてです。還暦の記念日にそれが実現して感謝しかありません」と喜ぶ。

 支配人によると、通常のプロレス興行の座席数は約1600席。バルコニーなどの立ち見を入れて、興行主催者が超満員1650~1700人などと発表しているという。コロナ下ではこの上限の50%しか入れることができなかったが、昨年12月から100%興行を認め、今年2月1日から100%の契約で貸し出しているという。今回は立ち見なしで1588人という発表。会場側が主催者だからこそ、リアルな満員実数が示された形だ。

 それにしても、新日本と全日本の老舗2団体をよく融合させたもだ。近年は多団体参加の興行はよくあり、新日本と全日本が顔を合わせることはあるが、2団体だけというのは異例。新日本は50周年を記念して、今年1月8日にプロレスリング・ノアとの対抗戦を横浜アリーナで開催しており、全日本とのストーリーラインはなかった。

 高山支配人によると興行は、ホール部ではなく、興行企画部が発案したという。その興行企画部の早福智之プロデューサーは、リング上にいた。還暦祭の赤いマットに上がった早福氏は、開会宣言でこうあいさつした。「自分も小さい頃からプロレスを見ており、当時、新潟のテレビは日曜の深夜にワールドプロレスリング(新日本)と全日本プロレス中継が同時刻で放送してました。なので、どちらを見ようかよく悩んでました。学校でも『お前は新日派? 全日派?』みたいな形で話していたのを覚えています。その両団体の50周年、そして後楽園ホールの60周年にこのような大会ができて本当にうれしく思っております」

 メインイベントでは、新日本の棚橋弘至と全日本の宮原健斗の“両エース”がタッグを結成するなど30選手が出場した。立ち見席の設定なしのため取材人数も制限され、オープニングのみを視察させてもらった。第1試合の藤田晃生(新日)VS井上凌(全日)は白熱した。対抗戦唯一のシングルマッチ。昨年8月デビューの藤田が、今年1月デビューの井上に9分32秒、逆エビ固めで勝利した。両団体の対抗意識が激しかった昭和の緊張感が垣間見えた“格闘技の聖地”61年目の始まりだった。(酒井 隆之)

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