“日本一強い監督”東洋大牛久高・山本浩之監督の新たな挑戦「一緒に走って生徒の力を引き出したい」

スポーツ報知
陸上トラックでの練習で、選手の先頭を走る山本浩之監督(手前)(カメラ・宮崎 亮太)

 「日本一速い監督」が立大・上野裕一郎監督(36)なら、東洋大牛久高の山本浩之監督(35)は「日本一強い監督」だ。大阪マラソン(2月27日)に参戦し、ハーフマラソンを1時間3分33秒、で通過。終盤に失速し、2時間18分15秒で53位だったが、積極果敢にレースを進め、存在感を発揮した。

 立大の上野監督は昨年12月に5000メートルで13分48秒27をマークし、今年3月の立川シティハーフマラソンでは1時間4分17秒で優勝した。スピードでは上野監督が勝るが、ハーフマラソン以上の距離ならば、山本監督の方が強い。日本陸上界双璧の「走る監督」は2003年の箱根駅伝で共に3区を走っている(上野監督が区間賞、山本監督が区間5位)。

 コニカミノルタで活躍していた山本監督が指導者に転身したのは1年前。2021年1月のニューイヤー(全日本実業団)駅伝にも出場していたが、チーム上層部から現役引退とコーチ就任を打診された。「まだまだ現役で走る気満々でしたが、会社に言われた以上、仕方ありません。引退を決めました」と冷静に振り返る。ほぼ同じタイミングで東洋大牛久高の男子駅伝部監督就任の誘いを受けた。「中学や高校の指導者になりたい、という希望を持っていました。そのために東洋大時代に教員免許を取得していました」。実業団ランナーから高校監督へ。思い切った転身を決断した。

 異色の経歴を持つ。埼玉・川口北高時代はサッカー部に所属。豊富な運動量を生かし、サイドバックからFWまで幅広くプレーした。校内マラソン大会で断トツ優勝の走力を見込まれ、陸上の大会に出場すると、5000メートルの最初のレースで15分12秒をマーク。3回目のレースで14分42秒まで縮めた。東洋大の佐藤尚コーチ(当時)に未知数の潜在能力を評価され、東洋大に入学した。1年から箱根駅伝に出場。4年で迎えた2009年の第85回箱根駅伝は劇的だった。東洋大は「2代目・山の神」柏原竜二さん(当時1年)が鮮烈デビューを果たし、初優勝を飾った。山本監督は故障を抱えながらもエース区間の2区を走り切り、歴史的な初優勝メンバーに名を連ねた。

 高校時代はサッカー部員だった山本監督が高校駅伝の指導者に。不思議な運命に「少し前まで想像していなかったですね」と柔らかな表情で笑う。自身の高校時代、ほとんど陸上経験がないことは常識にとらわれないという強みにつながっている。その上で、さらなる強みを持つ。「全盛期に比べれば力は落ちていますが、まだまだ高校生と引っ張って走れる。一緒に走って生徒の力を引き出すことが私の指導者としての一番の強みと思っています」ときっぱり話した。

 主力のひとりの秋山壱期(3年)は「山本監督は目の前でガンガン引っ張ってくれるので心強い。僕も将来、山本監督のように箱根駅伝を走りたいです」と目を輝かせて話す。「箱根への道」を目指す生徒とともに、山本監督は力強く走り続ける。(竹内 達朗)

 ◆山本 浩之(やまもと・ひろゆき)1986年4月30日、埼玉・与野市(現さいたま市)生まれ。35歳。小学生の時、サッカーを始め、川口北高時代もサッカー部に所属。3年時に陸上を始めると、すぐに才能が開花。2005年に東洋大入学。箱根駅伝に1年時から出場し、7区13位。2年時は3区5位。3年時は故障で欠場。4年時は故障を抱えながらもエース区間の2区で17位と必死にタスキをつなぎ、東洋大の初優勝に貢献した。2009年に卒業し、コニカミノルタ入社。17年東京マラソンで日本人2位となり、同年のロンドン世界陸上の日本代表補欠になった。自己ベスト記録は5000メートル13分45秒43、1万メートル27分55秒40、マラソン2時間9分12秒。21年4月に東洋大牛久監督に転身した。家族は妻、長男(6歳)、長女(4歳)。172センチ、54キロ。

 【取材後記】

 実は、山本監督は、埼玉・川口北高、東洋大を通じての17歳差の後輩になる。少々、自慢話になってしまうが、私は5000メートルで14分56秒という「川口北高記録」を持っていた。2004年、陸上部の先輩から「竹内の川口北高記録が破られたらしいよ。しかも、その選手はサッカー部員らしい」と聞いた。

 次の休日、母校を訪ねると、サッカーのシャツとパンツという格好で、風のように軽い足取りで、颯爽と走る高校生がいた。彼こそ山本浩之君(以下、山本君と呼ばせていただきます)だった。顧問の先生に許可を得た上で話をさせてもらった。

 「大学で本格的に陸上をやろう、と思っています。4校から勧誘を受けていますけど、一番、最初に声をかけてもらった東洋大に進学するつもりです」。山本君はさわやかに話した。高校だけではなく、大学も同じになることに私は驚き、喜んだ。以来、ずっと、山本君の活躍をフォローし続けている。

 2009年の第85回箱根駅伝。私の担当は戸塚中継所での取材だった。各校の2区の選手の取材を終えた後、私は東洋大の2区を走った山本君と一緒に往路ゴールの芦ノ湖に向かった。小田原駅から芦ノ湖に向かうタクシーの中で、9位でタスキを受けた5区の柏原竜二選手が次々と他校の選手を抜き去ることを伝えるラジオ中継を一緒に聞いたことは良き思い出だ。

 山本君は東洋大の箱根駅伝初優勝メンバーとなり、コニカミノルタでは立派な実業団ランナーとなった。そして、今、東洋大牛久高で山本監督として新たな挑戦を始めた。

 東洋大学陸上競技部(長距離部門)公認ホームページの中の「鉄紺データバンク 箱根を駆けた鉄紺ランナーのふるさと分布」で「埼玉・川口北」に「竹内達朗、山本浩之」と名前が並んでいることは、私にとって最高の誉れだ。(竹内 達朗)

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