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プロレスラー・大谷晋二郎、試合中の事故で救急搬送 リングドクター「頸椎損傷の疑い」

スポーツ報知
試合中に全身が動かなくなるアクシデントに見舞われた大谷選手

◆ZERO1「押忍PREMIUM PROWRESTLING SHOW ZERO1旗揚げ20&21周年記念大会」(10日、両国国技館)

 プロレスラーでZERO1のエース、大谷晋二郎選手(49)が10日、両国国技館で行われた同団体の旗揚げ記念興行「押忍PREMIUM PROWRESTLING SHOW ZERO1旗揚げ20&21周年記念大会」の試合中に全身が動かなくなり救急搬送される事故が起きた。

 大谷選手は、大会のメインイベントで世界ヘビー級王者・杉浦貴選手(51)に挑戦。15分過ぎに杉浦選手の投げっぱなしジャーマンスープレックスで後頭部をコーナーマットに打ち付け、そのまま仰向けになった状態で全身が動かなくなった。レフェリーは試合をストップし、16分44秒、レフェリーストップで大谷選手は敗れた。

 試合直後に団体は、救急出動を要請。動かない大谷選手をリングドクターの林督元医師が呼びかけるなど応急措置を施した。さらに、選手、スタッフらが大谷選手を囲み、仰向けになったままの大谷選手を心配そうに見守るファンがリングサイドで立ち尽くす事態となった。多数の観客が大谷選手の容体を心配し帰路につかなかったためオッキー沖田リングアナウンサーが「大谷選手は意識はあります」と繰り返しアナウンスした。その後、救急隊が到着しリングからストレッチャーに乗せられ救急車で都内の病院に搬送された。

 林医師は「呼びかけには反応するので意識はあります。ただ、手足がまったく動きません。詳しいことは病院で診察を受けないことには分かりませんが、頸椎損傷の疑いがあります」と話していた。同団体の取締役を務める沖田リングアナは大谷選手の状態を「呼びかけには反応はするんですが手足は動かない状態です。言っていることはわかるんで、マスク着けたら『苦しいから外してくれ』と言っていました」と明かした。記念の大会での事故に「プロレスでは、これはつきものですから仕方がありません」と気丈に話していた。

 大谷選手は、1972年7月21日、山口県山口市出身。1992年2月に新日本プロレスに入門。同年6月25日の福島市体育館の山本広吉(現・天山広吉)戦でデビューした。97年にはIWGPジュニア王座を奪取するなど新日本のスター選手の仲間入りを果たしたが、2001年に新日本を離脱し、橋本真也さんが設立したZERO―ONEへ移籍する。以後、同団体の看板選手として団体だけでなく様々な団体に参戦し活躍している。

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