復活期す大東大・真名子圭新監督インタビュー「学ぶべきは昔の強い大東大ではなく、今の強い他校」

スポーツ報知
「大東文化大学」の看板の前で抱負を語る真名子圭新監督(カメラ・小泉 洋樹)

 3年連続で箱根駅伝予選会敗退と低迷する大東大の再建の切り札として就任したOBの真名子圭(まなこ・きよし)新監督(43)がスポーツ報知の単独インタビューに応じ、古豪復活への手応えを明かした。宮城・仙台育英高を日本一に導いた新指揮官は「学ぶべきは昔の強い大東大ではなく、今の強い他校」と明確に話す。練習の質量をレベルアップさせると同時に選手寮を新築し、ユニホームのサプライヤーをアディダスに変更するなど競技面以外もチーム改革に着手。4年ぶりの本戦出場、さらに8年ぶりのシード権(10位以内)獲得を目標に掲げた。

 箱根駅伝で優勝4回を誇るも近年は低迷する大東大の復権を託されたのは「高校日本一の名将」の真名子監督だった。昨年度まで仙台育英高の男子チームの監督を務め、2019年には全国高校駅伝優勝に導いた。高校駅伝界で確固たる地位を築いていた真名子監督は心機一転、大学駅伝界で新たな戦いに挑むことを決めた。

 「大東大監督就任を決めた一番の理由は、母校の大東大が大好きだからです。やはり、正月の箱根駅伝に大東大がいないことはさびしい。大東大がまた箱根路で疾走できるように力になりたい、と思いました」

 2019年の箱根駅伝では1区で新井康平(当時4年)がスタートからわずか約200メートルで転倒する不運で大きく出遅れ、総合19位に終わった。その大会を最後に奈良修監督が退任。馬場周太監督が後を受け継いだが、3大会連続で予選会敗退。真名子監督は復活に向けて最強の切り札だった。就任の経緯について慎重に語る。

 「2019年に仙台育英が全国優勝した時と、ほぼ同じタイミングで大東大が箱根駅伝に出場できなくなり、大東大関係者の皆さんに『大学に監督として戻ってきてほしい』とオファーをいただくようになった。でも、仙台育英には大事な生徒たちがいます。ただ、それからの2年で仙台育英の生徒たちは成長して、僕がいなくても大丈夫と思った。2月28日に生徒たちに大東大に行くことを伝えました。その時『これからも何でも相談に乗るから、いつでも連絡してほしい』と言いました。2012年に仙台育英の監督になって、ちょうど10年。一つの区切りでもありましたね」

 2020、21年度にチームを率いた馬場監督と入念な引き継ぎを行い、3月18日に大東大の選手と初めて顔を合わせた。真名子監督は今季の目標を明確に語る。

 「上半期は全日本大学駅伝関東選考会(6月19日)を突破すること。下半期は箱根駅伝予選会(10月15日)を突破することです。さらに箱根駅伝本戦ではシード権(10位以内)を狙っています。優勝は全く見えませんが、10位は見えています。今季のチームはその力があります」

 ハーフマラソン(21・0975キロ)の上位10人の合計タイムで争う予選会。昨年は10位で通過した国士舘大と2分27秒差の12位敗退だった。上位10人のうち、卒業した選手はひとりだけ。ほぼ主力は残っている。

 「私は箱根駅伝で失敗することも多かったですけど、その失敗から学ぶことが多かった。でも、今の選手たちは、そのスタートラインに立つこともできていない。アンケートを取ったら、ほぼ全員が箱根駅伝を走ることが夢、目標と書いていました。必ず実現させてあげたい」

 大東大は青葉昌幸・元監督が率いていた時代に箱根駅伝で連覇を2度達成(1975年と76年、90年と91年年)。全日本大学駅伝は7勝、出雲駅伝は1勝。学生3大駅伝計12勝は歴代6位。1990年度には史上初の学生駅伝3冠を達成した。輝かしい戦歴を誇るが、それは過去の栄光でもある。母校を愛するが故に真名子監督は明言する。

 「過去の素晴らしい実績は尊重されるべきものです。でも、未来をつくるのは今。だから、今の大東大が学ぶべきは昔の強い大東大ではなく、青学大や駒大など今の強い他校です」

 変えるべきもの。継承すべきもの。古豪の新リーダーには、そのすみ分けができている。

 「変えるべきものの方が多いですね。奈良監督や馬場監督を否定するわけでは決してありませんが、スピード練習が少ない、と感じました。まずはスピードを強化したい。それに練習量も足りていない」

 昨季、大東大の駅伝チームで初のケニア人留学生として入学したピーター・ワンジル(2年)は予選会でチーム12位、総合231位に終わるなど、1年を通じて苦しんだ。仙台育英出身のワンジルにとって恩師の就任は心強いはず。真名子監督は教え子の復活に期待している。

 「昨年、ワンジルは他校の留学生に負けてはいけない、と気負い過ぎていた。『君は君でいい。自分にできることをしよう』と言っています。私はワンジルを特別視しないし、ワンジルも大東大の一選手として走ればいい。今年の予選会では昨年のような失速はないでしょう」

 競技面以外でも改革を進めている。現在、新しい選手寮を建設中。7月に同じ埼玉・東松山市内で移転する。また、ユニホームも一新する。ライトグリーンとオレンジの特徴的なカラーリングは変わらないが、サプライヤーが今季からアディダスに変わる。

 「新しい寮で生活環境が良くなり、競技面にプラスになります。アディダスのユニホームは新たに進化する大東大をアピールできると思います」

 指導者としての原点は三重県の「普通」の県立高校にある。大東大を卒業後、実業団の強豪ホンダで競技を続け、5年後に引退。ホンダで一般社員として働いた。車好きの同僚が楽しそうに働く姿を見て、自身も一番、好きな走ることを仕事にすることを決断。ホンダを退社し、大東大で再び学び、教員免許を取得した。故郷の三重で県立高校の教員、顧問として生徒を指導した。

 「ここで、生徒に走ることの楽しさを改めて教えてもらった。普通の県立高校なので、5000メートルの自己ベストは17分台の選手もたくさんいました。正直に言えば、競技力は低いけど、16分台の自己ベストを出した時、生徒はすごく喜んでいたし、私も本当にうれしかった。一緒にアイスを食べたりして、本当に楽しかった。仙台育英では勝負にこだわらなければいけなかったけど、やはり、その前に走ることを楽しまなければならない、と強く思います」

 2012年に仙台育英の監督に就任。それまでに全国高校男子駅伝で7度の優勝を数える名門だったが、その直前に主力選手が集団転向するなどチームは混乱しており、部員はわずか4人だけだった。

 「(7区間の)駅伝チームが組めないような状況でした。野球部を引退した松原聖弥(現巨人)が助っ人のひとりとして練習に参加してきましたけど、一日で来なくなりました(笑い)。そんな大変な時期でした」

 就任1年目、2年目は宮城県大会で敗れ、全国高校駅伝に出場することはできなかった。しかし、情熱あふれる指導で、仙台育英は徐々に力を取り戻し、記念大会だった3年目の14年に東北枠で全国大会に復帰。17年に3位入賞。そして、19年に吉居大和・吉居駿恭兄弟(現中大)らを擁し、全国制覇を成し遂げた。指導者として、三重の県立高校で「走る楽しさ」という基本を確立し、仙台育英で「勝負強さ」を磨いた。

 「一年あればチームは劇的に変わることができます。すでに、その雰囲気が漂い始めています」

 大東大を卒業して21年。真名子監督は“名門復活請負人”として母校に帰還した。(取材・構成=竹内 達朗)

 ◆真名子 圭(まなこ・きよし)1978年9月27日、三重・四日市市生まれ。43歳。中学校時代は陸上部に所属も「走ることより遊ぶことが楽しかった」。四日市工高から本格的に走り始め、3年時に全国高校総体3000メートル障害に出場。1997年に大東大経済学部に入学。箱根駅伝には4年連続で出場。1年7区14位、2年1区14位、3年1区9位。主将を務めた4年時は10区で区間記録(当時)の区間賞。2001年に卒業し、ホンダに入社。06年に退社し、教員免許を取得するために再び大東大で2年、学ぶ。その間、大東大コーチを務めた。その後、三重県の公立高校に勤務した後、12年に仙台育英高監督に転身。全国高校駅伝では優勝1回、2位1回、3位2回。妻、長男、長女、次女の5人家族。

 ◆大東大 1967年創部。同年度の68年に箱根駅伝初出場。8度目の出場の75年に初優勝を果たす。76年も制して連覇。90、91年も連覇し、通算4勝。出雲駅伝は優勝1回(90年)。全日本大学駅伝は73年の初優勝以来、7回制した。90年度に史上初の学生駅伝3冠を達成。タスキの色はライトグリーン。主なOBは箱根駅伝5区4年連続区間賞の大久保初男氏、88年ソウル五輪長距離代表で元拓大監督の米重修一氏、2016年リオ五輪男子マラソン代表で現亜大コーチの佐々木悟氏ら。

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