ゴロフキンという男…亡き兄が残したボクシングという希望

羽田空港の国際ターミナルに到着したゴロフキンはファンに手をあげて応えた(カメラ・二川雅年)
羽田空港の国際ターミナルに到着したゴロフキンはファンに手をあげて応えた(カメラ・二川雅年)

◆プロボクシング ▽WBA、IBF世界ミドル級(72・5キロ以下)王座統一戦12回戦 WBAスーパー王者・村田諒太―IBF王者ゲンナジー・ゴロフキン(9日、さいたまスーパーアリーナ)

 ゴロフキンがやって来た! WBA世界ミドル級スーパー王者・村田諒太と対戦するIBF王者ゲンナジー・ゴロフキンが31日、米ロサンゼルスから羽田空港着の便で来日した。日本でプロとして闘うのは初めてで、国内初のミドル級統一戦へ「体調が良く、ハッピーだ」と早くも“臨戦態勢”をアピールした。また、ゴロフキンにインタビューの経験がある米ロサンゼルス在住の宮田有理子通信員がスーパースターの人物像に迫った。

 ゴングが鳴れば情けも容赦もない。圧力や強打…。ゴロフキンは高い熱量でリングを満たし、衝撃のKOを描き出す。熱狂の渦の中心で見せるのはまぶしいほどの笑顔。そして客席を見渡し、感謝を捧げるのだ。

 試合をすれば米国の東海岸でも西海岸でも会場は満員。ライバルに敬遠されながらも圧倒的な強さで伝統のミドル級に一時代を築き、本場のファンをとりこにした。成功の物語は、中央アジアの渇いた地に始まる。

 カザフスタン北東部、石炭産業の街にあるカラガンダに、ロシア生まれの炭鉱夫の父と韓国系の母の間に生まれたゴロフキンには、双子のマックスの上にヴァディム、セルゲイの兄がいた。労働者の街で「子供の社会も楽じゃない」とケンカに明け暮れた。8歳の時。「ボクシングを学ぶんだ」とセルゲイにジムへ導かれたゴロフキンは、自らの拳に授かった力を知る。時代はソ連崩壊の目前。体制の変化と国家自立の混乱期、ソ連軍に従軍していた兄2人は命を落とす。ボクシングは、兄が残していった生きる希望だった。

 2000年の世界ジュニア優勝に始まり、トップアマへ。03年世界選手権を制し、04年アテネ五輪では銀メダルを獲得。06年にドイツの大手プロモーターと契約しプロ転向した。

 11戦全勝9KOの成績を残し、8回戦のうちにミドル級の世界ランクに名を連ねた。だが地元選手が優先され、チャンスは巡ってこない。10年春、カバン1つを携えて渡米し、名伯楽のアベル・サンチェス・トレーナーとプロモーターのトム・ロフラーと出会った。誠実なチームに恵まれ、その夏には最初の世界王座(WBA暫定)に就く。観客には最高のKOを約束し、メディアとも友好関係を築いた。

 17年9月のサウル・アルバレス(メキシコ)との初戦が決まった頃、高地にある練習拠点の米ビッグベアに会いにくる記者一人ひとりを丁寧に迎え入れた。「ドイツから母国に戻っていたら全く違う人生だった。米国は私を認めてくれた。それができた自分、導いてくれたチームを尊敬している」。スター街道は、しっかりと積み上げてきた信頼の上にある。カザフスタンの鉄拳は、日本にどんな記憶を、「ビッグドラマショー」を刻むのか。(宮田 有理子)

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