◆カタールW杯アジア最終予選B組 オーストラリア0―2日本(24日・シドニー)
日本の先制点をアシストしたDF山根視来の幼少期を知るプロ野球・大洋(現DeNA)などで活躍した高木豊さん(63)=スポーツ報知評論家=が、幼少期の山根の思い出を語った。
× × ×
視来の兄さんと長男・俊幸(J2千葉)が、あざみ野FCで同級生で、そこから山根家との付き合いは始まりました。視来と善朗(次男、J2新潟)が幼稚園の頃から、互いの家の間にある「前田公園」で毎日のように一緒にサッカーをしていました。子供たちは「前田FC」と呼んでいましたね。よくやったのは、視来のお父さんと僕も入っての3対3。もうガチですよ。みんな負けず嫌いなので、ユニホームを引っ張り合いになるぐらい(笑い)。本当の旧友ですね。
当時の視来の印象は照れ屋。下手だと思ったことはないですけど、どうしても4人の中で年が一番下だったので、目立つ感じではなかったですね。一歩引いて、という性格。でも表には見せないですが、めちゃめちゃ負けず嫌い。陰でコツコツ努力するタイプでしたね。
昔は「前田FCの4人で日本代表に入ろう」とよく言ってましたが、視来が夢をかなえてくれました。デビュー戦(昨年3月の日韓戦)で点を取った時は本当にびっくりしました。前田FCでもあまり点を取れなかったのに(笑い)。善朗とも「前田FCから代表に行けたのはうれしいよね」とよく話しますけど、本当に僕たちの誇り。W杯での活躍を楽しみにしています。(談)