今季12年ぶりにJ1を戦う京都では、チョウ貴裁(キジェ)監督が使う独自の「サッカー言語」が飛び交う。「リードアクセル」「ホールディング7」「シャトル」…。一度聞いても意味がわからない用語が、ピッチ内外の各箇所にちりばめられている。チョウ監督はなぜ新たな言葉を作り出し、どんな効果をもたらそうとしているのか。「京都から世界へ発信するサッカーを」と壮大なプランを掲げる指揮官の狙いに迫る。
4バックの左右に位置する選手のポジションは、サイドバック…。サッカーの知識が少しでもあれば、誰もが言う呼び方だ。しかし今季12年ぶりにJ1を戦う京都に「サイドバック」はいない。試合開始時、その場所に立つ選手は「リードアクセル」と呼ばれている。
チョウ監督は意図をこう説明する。「色々な角度からサッカーを考えたときに、ポジションや、プレーの事象にニックネームみたいなものを付けると、堅くもなく柔らかすぎず、選手に浸透するんじゃないか、という感覚があったんです。例えばアクセルと聞けば、誰もが運転してる時のブレーキとアクセルをイメージし、アクセルはどういう動きなのか、想像しやすいかなと」
昨季は「アクセル」と呼ばれていた同ポジションは、後方から次々と選手が相手陣内に入り込む京都のサッカーにおいて、最終ラインからサイドを駆け上がってチームに推進力を加える役割がある。今季は「より攻撃、守備の起点になるという意味で、リードという言葉をつけた」と指揮官は明かした。
他にも中盤の底で一般的に「アンカー」(錨の意)と呼ばれるポジションは、自身より前の7人を操るという意で「ホールディング7」。主に同位置を務めるMF川崎は「そう呼ばれることで前の7人を生かすんだと意識する。自分が(相手の)カウンターを止めて、7人を守備に戻らせなくてもいいようになど」と語る。また、中盤で錨のように刺さって、パスをさばくイメージがあるアンカーという言葉を外すことで、最前線に飛び出して攻撃に絡んでもいいという意図も含む。
ポジション名だけではない。ダッシュで一気にスピードを上げるプレーは、初速が時速400キロを超えることもあるバドミントンの羽根から「シャトル」。「シャトルがないんじゃない? と言えば、チーム内でイメージを共有できる」とチョウ監督が言うように、重要なプレーを“命名”することで、チーム内での共通理解も深まっている。
そこには長年変わっていないサッカー用語の既成概念を壊し、サッカーを進化させたいという思いがある。「昔だったら、銀行にお金を預けてたら、高い金利がついたじゃないですか。でも、その常識って今は通用しない。サッカーも常識をいい意味で疑い、進歩させようとしたチームから成長していく」。サイドバックが守備だけしていた時代ははるか昔。呼び名を変え、意識、プレー内容も変えることで、よりサッカーを進化させていくことができるか。日本サッカーで初めてかもしれない試みが、J1で奮闘する京都で繰り広げられている。(金川 誉)
◆チョウ監督のサッカー用語集
【ポジション編】(カッコ内は一般的な呼び方)
▼BB(インサイドハーフ) Box to Boxという英国サッカー用語より。Boxはペナルティーエリアの意で、両方の「Box」で攻守に絡む
▼コマンド(センターバック) 主に最終ラインの高さを指示する司令官
▼シャトルカバー(GK) ゴールを守るだけでなく、最終ライン裏のスペースをカバーする
▼スイッチ(サイドFW) 攻撃の起点だけでなく、守備の先陣も切るスイッチ役
▼クリエーター(センターFW) 攻撃のアイデアを出す役割
【プレー編】
▼Tボール 「トリガーボール」の略。拾った瞬間に攻撃を開始するトリガー(引き金)となるこぼれ球、セカンドボール
▼アドベンチャープッシュアップ ラインの上げ下げ。冒険心を持ってゴールを目指すためにラインの高さを調節する意味
▼ハントゾーン 敵陣ペナルティーエリアの角。ここにボールを送り込むことで、ゴールを狩るチャンスが高まるという狙いから。
【役割編】
▼ジェネレーター 発電機の意から、ピッチ内外でチームを盛り上げる役割。今季はDF白井、「ヤングジェネレーター」にMF川崎
開幕勝利のち14位も「アドベンチャー精神を失わずに」
〇…今季の京都は、J1開幕戦で優勝候補の浦和に1―0と勝利。続く関西ダービーのC大阪戦は引き分けと勝ち点を積み重ねた。第3節は昇格組対決の磐田に今季初黒星を喫し、ここまで1勝2分け2敗の14位。だが、チョ監督は0―1で敗れた19日のホーム・FC東京戦後に「アドベンチャー精神を失わずに戦っていきたい。リーグ戦では今季一番の内容だったし、次につながる」と手応えも語っていた。
◆チョウ 貴裁(チョウ・キジェ)1969年1月16日、京都府生まれ。53歳。洛北高、早大を経て、91年に柏の前身である日立製作所サッカー部に入団。JリーグではDFとして柏、浦和、神戸でプレーし、97年に引退。湘南でジュニアユース監督、ユース監督、ヘッドコーチを歴任して2012年に監督就任。18年にはルヴァン杯で初優勝した。19年途中にパワハラ問題で退任。20年は流通経大でコーチを務め、21年に京都の監督就任。昨季はJ2で2位となり、12年ぶりのJ1昇格に導く。