スポーツ報知のカメラマンがあの日、その時を切りとった膨大な写真の中から、撮影者が記憶に残るショットを紹介。当時の状況や思い出だけでなく、今だから話せる”ウラ話”を明かします。当時の空気とともにお楽しみください。

昭和の大横綱・大鵬が負けた日「世紀の大誤審」角界を変えた一枚 物言い戸田の逆転金星…消えた46連勝

行司差し違えで連勝が45で止まった大鵬。しかし、戸田(手前)の右足が出た瞬間、大鵬の足がまだ土俵に残っていた
行司差し違えで連勝が45で止まった大鵬。しかし、戸田(手前)の右足が出た瞬間、大鵬の足がまだ土俵に残っていた

 6月10日に創刊150周年を迎える報知新聞の特別企画「スポーツ報知150周年 瞬間の記憶」。今回は「荒れる春場所」です。2年ぶりの大阪開催となる大相撲春場所が、13日にエディオンアリーナ大阪で初日を迎えます。53年前の1969年春場所2日目、大横綱・大鵬の連勝が「45」でストップ。ただ、この一番は映像などから「世紀の大誤審」と呼ばれ、勝負判定の参考としてビデオが導入されるきっかけの一つとなりました。当時を振り返るとともに、対戦経験のある元力士が大横綱の強さを語ります。

 69年3月10日。大阪府立体育会館(現エディオンアリーナ大阪)は、どよめきに包まれていた。大鵬敗れる―。双葉山の歴代最多69連勝への挑戦が途切れた瞬間だった。初日に小結・藤ノ川を退け、連勝を「45」に伸ばした大鵬。2日目は22歳の新鋭の東前頭筆頭・戸田(後の小結・羽黒岩)との一番だった。

 初顔の相手に、立ち合いから強烈な右のど輪で体を起こされ、東土俵につまった。休まず攻める相手に突き落とされて体が泳ぐ。それでも横綱は東から正面へ俵を伝いながら逃げる。最後は捨て身のはたきで逆転を狙ったが、土俵下へ吹き飛ばされた。直前、猛然と出た戸田の右足が土俵を割ったかに見えたが…。ただ、内容は完敗だった。

 立行司の22代・式守伊之助の軍配は大鵬。だが、千賀ノ浦審判(元大関・栃光)が物言いをつけた。当時、ビデオは導入前で頼りは土俵下の肉眼だけ。協議の結果、春日野審判部長(元横綱・栃錦)が行司差し違えで戸田の勝利を館内にアナウンス。68年秋場所2日目から続いた連勝劇が突然、幕を閉じた。

大鵬の連勝が止まった。正面からの写真
大鵬の連勝が止まった。正面からの写真

 支度部屋に戻った大鵬の表情を、報知新聞は「平静に戻っていた。ほほえみさえ浮かべていた」と報じた。大鵬は「相手の右足が出たのがはっきりわかったが…」と言いかけ、すぐこう言い直したという。

 「負けたのはどうしようもないさ。あんな相撲を取ったのがいちばんいけないんだ」

 一方で、大金星の戸田。興奮のあまり顔は青ざめており、自分が勝ったと思ったか、という問いにこう答えたのだという。

 「自分の足がでたところまではわかっているが、横綱の体勢がどうだったかは覚えていない」

 運命の判定を下した春日野審判部長は取組後に「全員が戸田の勝ちを主張した。取り直しの声は一つもない。戸田の足が出たとか出ないとかということより、大鵬の体がなく、まったく分が悪かった」と説明している。一方の式守伊之助は「私は大鵬の勝ちに自信をもっている。大鵬が東土俵から右へまわり込んだとき、はっりと戸田の足が出ていた。審判にそう主張したのだが、意見をとり入れてくれなかった」と主張している。

1969年3月11日付報知新聞1面
1969年3月11日付報知新聞1面

 微妙な判定を巡り、テレビ映像や新聞の写真で戸田の右足が先に土俵を割っていたことが報じられた。

 報知新聞は1面で大鵬の連勝ストップを報じるとともに「誤審?に泣いた大鵬 レンズの目は軍配どおり」という見出しが。使用した写真は計7枚。問題の場面は「正面」と「裏正面」からの大きな2枚の写真で、戸田の右足が蛇の目の砂をはらっているところを写し出している。こうした状況に、相撲協会には抗議の電話が殺到。新聞社にも投書が相次ぐなど、大騒動に発展した。

 相撲協会広報部のビデオ判定資料によると、大鵬―戸田戦と同じ場所の9日目に大関・琴桜と平幕の海乃山の一番の物言いが原因となり、翌10日目に審判部にて正式に翌5月(夏)場所からNHKテレビのVTRを参考資料にすることを正式決定した。一方、実際には以前から準備しており、夏場所から採用予定であったとしている。ただ、他競技に先駆けてVTRを導入する中で「世紀の大誤審」は大きな出来事であっただろう。

 取組後は潔く自らを責めた大鵬だが、71年5月14日の引退会見で心残りを問われると「あえていえば」と戸田戦を挙げ「あんな格好で連勝をストップされたことだ」と答えている。(三須 慶太)

 ◆大鵬 幸喜(たいほう・こうき)本名・納谷幸喜。1940年5月29日、サハリン(旧樺太)でウクライナ人の父と日本人の母の間に生まれ、終戦とともに北海道へ。56年9月場所、二所ノ関部屋から初土俵。59年夏、新十両。60年初、新入幕。同年九州で初優勝を飾り場所後に大関昇進。61年秋場所後に21歳3か月と当時史上最年少で第48代横綱に昇進。71年夏場所で引退。優勝は史上2位の32回。幕内在位69場所で746勝144敗136休。引退後は一代年寄「大鵬」として部屋を興し、関脇・巨砲らを育てた。2013年1月19日、72歳で死去。現役時は187センチ、153キロ。

行司差し違えで連勝が45で止まった大鵬。しかし、戸田(手前)の右足が出た瞬間、大鵬の足がまだ土俵に残っていた
大鵬の連勝が止まった。正面からの写真
1969年3月11日付報知新聞1面
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