連載企画「ボーイズリーグ むかし いま そしてこれから…」~東日本ブロックの歴史を振り返りその未来を考える~(1)

昨年の全国大会は史上初めて春夏ともに決勝が東日本勢対決になった(写真は夏に優勝した湘南ボーイズの選手たち)
昨年の全国大会は史上初めて春夏ともに決勝が東日本勢対決になった(写真は夏に優勝した湘南ボーイズの選手たち)

◆西高東低の歴史

 1970年に大阪で発足したボーイズリーグ(公益財団法人日本少年野球連盟)は、全国に小中700を超える硬式チームが所属する。その歴史を北海道、東北、関東甲信越をカバーする東日本ブロックを中心に振り返り、関係者とともに今後の課題を考える。連載第1回は「西高東低の歴史」。(報知新聞東京本社事業部・芝野栄一)

 2021年は東日本ブロックにとって特別な年だった。中学生の部で全国大会決勝のカードが春夏ともに東日本勢対決になったのは、リーグ52年の歴史で初めてのこと。春は県央宇都宮(栃木)が高崎中央(群馬)を下して初優勝。夏はその県央宇都宮を破って湘南(神奈川)が2度目の頂点に立った。その時、就任22年目の湘南・田代栄次監督(44)は「まさか(大阪開催の)夏の全国大会で関東のチームと決勝で戦う日がくるとは思わなかった」と話した。所属チーム数、全国大会での成績、輩出したプロ選手の人数など長く“西高東低”が続いたボーイズリーグ。そのわけはリーグの歴史にあった。

 後にボーイズリーグの愛称で呼ばれる日本少年野球連盟の誕生は、1970年7月13日。大阪、兵庫、愛知の小学生19、中学生9チームでのスタートだった。設立のきっかけは、当時国内唯一の少年硬式野球として東京を中心に広まっていた米国に本部を置くリトルリーグ(公益財団法人日本リトルリーグ野球協会、1964年設立)の存在。関西でも本格的に硬式を広めようと新聞社を通して同リーグの情報を集めた初代理事長・吉倉利夫氏(故人)ら17人の発起人が、大阪で賛同者を集めて日本少年野球連盟を結成した(連盟10年誌から)。

 その経緯から、設立当初の試合規則はリトルリーグとほぼ同じ。すると「走者の離塁は投球がホームベースを通過してから」などソフトボールに似たルールに反対する声が続出した。そこで設立のわずか5か月後、日本の公認野球規則とほぼ同じルールに改正。このことが功を奏し、本部を置く大阪を中心にボーイズリーグは人気を集めた。設立10年目には所属チーム数が全国で小中300を超えたが、その約半数が大阪、兵庫、京都のチームだった。

 関西で加盟チームが激増する一方、すでにリトルリーグが浸透していた関東以北では伸び悩んだ。初加盟は東京・荒川区で活動していた複数のリトルリーグ所属チーム。独自のルールにこだわる姿勢に不満を抱いていたところに「選手が目指す高校野球、プロ野球と同じルールでやれる硬式の団体が大阪にできた」と伝わると、「連盟結成の翌年、いち早く翼下にはせ参じた」(連盟10年誌荒川支部長の寄稿から)。

 徐々に関東地方でも加盟チームは増えていったが、内部の主導権争いの末に起こった大量脱退騒動もあり再び低迷。時代が平成を迎えても関東の所属チーム数は首都圏の小中50程度にとどまり、茨城や栃木、東北にはボーイズの名で活動するチームはなかった。その頃は、東日本で硬式少年野球の代名詞といえば小学生はリトルリーグ、中学生はその関連団体のリトルシニア。しかし、1998年に初開催された大会が潮目を変えた。(続く)

 ◇公益財団法人日本少年野球連盟(ボーイズリーグ) 硬式野球を通して小中学生の健全育成に努める。公式戦は春夏の全国大会をはじめ東日本、中日本、関西、中四国、九州各ブロックの地区大会を含めると全国で年間200以上の大会を開催している。パドレス・ダルビッシュ有投手(大阪・羽曳野ボーイズOB)、楽天・田中将大投手(兵庫・宝塚ボーイズOB)ら多くのプロ選手を輩出。

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