元東京都知事で芥川賞作家の石原慎太郎さんが1日午前、東京・大田区の自宅で死去した。89歳。昨年10月に膵臓(すいぞう)がんを再発していた。後日、お別れの会を開く。1968年に参院選に当選後、国会議員、都知事として歩んだ政治家人生は46年。タカ派政治家の代表格として知られ、東京五輪・パラリンピック招致への道筋をつけた。石原氏を取材した記者が生前を振り返った。
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一橋大学在学中の1955年に「太陽の季節」で鮮烈なデビューを飾った石原さん。だが、志望通りの進学をしていたら「作家、政治家・石原慎太郎」は誕生していない可能性もあった。
2019年のインタビュー時、大学の後輩として興味があり「なぜ一橋大学を選んだのか?」と尋ねた。他の取材でも触れているが、石原さんが当初、進学を希望していたのは京都大学の仏文学科だった。
「父の知り合いに『大学はどうするんだ?』と聞かれた。京大と答えたら『やめた方がいい』と言われたんだ」。当時は、弟の裕次郎さんが家の金を際限なく使う放蕩三昧(ほうとうざんまい)。それを知る父の知人は、石原さんに公認会計士か弁護士になるよう勧めたという。
「でも当時は、弁護士は中央大学が多くて。『(中大には)あんまり行きたくないな…』と思っていたら、その人が『うちの大学はどうだ?』と一橋大学を教えてくれてね」。その言葉に従って進学したが「会計とか簿記の勉強をしたら半年で『何てつまらないんだ』と」(笑い)。
ただ、勉強に飽きたからこそペンを執り「太陽の季節」を執筆することができた。「会計を勉強したから知事になれたというのもあるんだから、役には立ったんだよ。それは一橋に行ってよかったってことだよね」(高柳 哲人)