スポーツ報知のカメラマンがあの日、その時を切りとった膨大な写真の中から、撮影者が記憶に残るショットを紹介。当時の状況や思い出だけでなく、今だから話せる”ウラ話”を明かします。当時の空気とともにお楽しみください。

バーン! 原田雅彦の大ジャンプ衝撃音響かせ着地…日の丸に顔うずめて涙した地獄と天国を味わった男にシャッター切りながら「震えた」

長野五輪で日本がジャンプ団体で初の金メダルに輝き原田雅彦が男泣き
長野五輪で日本がジャンプ団体で初の金メダルに輝き原田雅彦が男泣き

◆1998年2月17日、長野冬季五輪ジャンプ団体金メダル(安藤篤志カメラマン)

 長野五輪・個人ラージヒルで船木和喜が金、原田雅彦が銅メダルを獲得し、団体金メダルへの期待が膨らんでいた。本紙も現地カメラマン5人全員を競技場を囲むように配置する万全の態勢で、その瞬間を待った。

 私が陣取ったのは、飛び終えた選手がスキー板をはずして待機する場所からわずか数メートルで、至近距離から表情を狙える。ラージヒルの時は、ここで金メダルを決めた船木が原田と抱き合って喜びを爆発させていた。

 競技開始から激しい雪が舞い、カメラを構えると、わずか数分で望遠レンズの上に雪が積もる。呼吸をすると息で眼鏡がくもって何も見えない。さらに寒さで体は震え、手袋の中の指先はかじかんで感触がなくなっていた。

 1回目、失敗ジャンプに終わった原田が顔面蒼白(そうはく)で私の前を通り過ぎた。「あきらめるな。次があるぞ」。観客の声援に力なく手を上げて応える姿が痛々しい。前半を終えて日本は4位、悪天候で競技続行不可能なら、金どころかメダルすら取れない状況だった。

金メダルが決まりアンカー・船木和喜(左後ろ向き)に駆け寄り抱きつく原田雅彦、斎藤浩哉、岡部孝信(右後方)
金メダルが決まりアンカー・船木和喜(左後ろ向き)に駆け寄り抱きつく原田雅彦、斎藤浩哉、岡部孝信(右後方)

 それでも、テストジャンパーの必死の飛躍もあって2回目が開始された。雪が降り続く中、白いカーテンを切り裂くように原田が飛んだ。「バーン!」。地面にスキー板が叩きつけられる衝撃音で私はその飛距離を確信した。1回目とは対照的な表情で両手を大きく広げ、ランディングバーンを滑り下りてきた。K点をはるかに越える137メートルの大ジャンプ。観客のホーンが鳴り響く中、仲間に迎えられた原田の顔はクシャクシャになっていた。そして、アンカーの船木が飛ぶシャンツェを「ふなきぃ~」と祈るように見つめた。

 大きな弧を描き着地した船木は、すぐさま電光掲示板に目をやった。一瞬の静寂の後、得点が表示され日本の優勝が決まると、拳を天に突き上げ倒れ込んだ。わずか数時間の間に地獄と天国を味わった原田が真っ先に駆け寄る。

 悲願の団体金メダルに「やったあ。やったあ。やったよ」と、自らに語りかけるように日の丸に顔をうずめて涙した原田。シャッターを切った一コマ一コマを今でも思い出す、体も心も「震えた」瞬間だった。

 【1998年2月18日付紙面より】「長野五輪ジャンプ団体、雪辱の金メダル」。1994年のリレハンメル五輪のジャンプ団体でアンカーの原田雅彦が失敗し、日本は金メダルを逃した。4年後の98年長野五輪(白馬)は岡部孝信、斎藤浩哉、原田、船木和喜の順で戦い、金メダルを獲得した。前半4位も2本目に原田は137メートルの大ジャンプを飛び、アンカー船木がしっかり決めた。地獄と天国を味わった原田は日の丸に顔をうずめて涙を流した。

スポーツ報知1998年2月18日付紙面
スポーツ報知1998年2月18日付紙面
長野五輪で日本がジャンプ団体で初の金メダルに輝き原田雅彦が男泣き
金メダルが決まりアンカー・船木和喜(左後ろ向き)に駆け寄り抱きつく原田雅彦、斎藤浩哉、岡部孝信(右後方)
スポーツ報知1998年2月18日付紙面
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