「THE RAMPAGE」山本彰吾インタビュー・ロングバージョン<2>

スポーツ報知
「THE RAMPAGE」山本彰吾(カメラ・森田 俊弥)

 16人組ダンス&ボーカルグループ・THE RAMPAGEがデビュー5周年に当たる25日に新アルバム「RAY OF LIGHT」を発売した。ヤマショーことパフォーマーの山本彰吾(26)は「もう5年ですか、いろんなことをやらせてもらいましたが、長いような短いような感じです」と振り返った。グループ結成して8年になるが「この16人だからデビューできたし、年内にもドームツアーはやりたい」とも。メンバーへの思いや振り付け師としての苦労やプライベートまで。岡山の小さなダンス教室から“ランペの頭脳”と呼ばれるようになったヤマショーの秘密に迫った。

 (ペン・国分 敦、カメラ・森田 俊弥)

<1>から続く

 EXILEとランペイジも共に大所帯だが、パフォーマンスの違いは感じているのか。

 「この2グループは結構似ていますね。LDHのスタイル、EXILEの魂を継がないといけないのはランペイジだと思っているので、僕らが正直(EXILEに)寄せている部分はあります。そこで何が違うかっていうと、僕らはまだ年齢も若いので、見せつけるみたいな攻撃的なパフォーマンスが多くて、EXILEさんは見てる人をハッピーにするパフォーマンスが多いと思います。EXILEさんはどうしても『これがLDHだよねって、これがEXILEだよね』っていうライブをしなきゃいけないと思うので、攻めたパフォーマンスよりもいいタイミングで『Choo Choo TRAIN』が来たり、いいタイミングであの曲やこの曲っていうのが来る。往年のテンプレートみたいな感じで出来上がっていて、僕らもそうなりたいと思っています」

 ランペイジにはEXILEとの兼任メンバーがいない。メリットとデメリットを感じている。

 「僕らもよくその話はします。メリットとしては兼任メンバーがいると『今のEXILEこうだよ』っていうリアルな今の意見をグループに落とし込めますよね。デメリットは僕の勝手なイメージですが、憧れがなくなっちゃうのかなって…。僕らってEXILEさんに憧れている中で、兼任メンバーがいないからこそ憧れの象徴であり、夢を続けられる。僕らが『やっぱ、あそこカッコいいよね』となった時に『実はあそこ、〇〇だったのよ』っていうのはいらない情報なんです。好きなダンサー、ボーカルっていうのがあって、ある程度曲があった方が夢を追いかけ続けられると思っています」

 ダンスを始めたのは小学生の時。EXILEの影響だったという。

 「10歳の時に『Choo Choo TRAIN』をMTVで見てダンスに目覚めました。地元の岡山にはスクールみたいなのはなくて、母親が探してくれたのがスーパーの会議室みたいな所のダンス教室。ジャズダンスをしていた女性の先生で生徒はほぼ小、中の女の子で男は自分1人。めちゃくちゃ恥ずかしかったです。子供の頃から極真空手はやっていました。というよりもやらされていました。蹴りとか拳をガッツン当てるからとにかく痛いんですよ。それも嫌で、子供ながら『どうやったら、空手をやめられるか』というのがモチベーションになっていました。父親が子供に格闘技をやらせるのは田舎の小学生アルアルですよね(笑い)。ただ、自分はスポーツも勉強も全然得意じゃなくて、自分の感情をむき出しにできるモノがなかった。その時にダンスは『しゃべる前にもダンス見てくれ』って、言葉よりも言葉だった気がしました」

 ―そこからダンスにのめり込んでいったのか。

 「ダンスもそうですが、家にエミネムが主演した『8 Mile』のビデオがあって、それを見てヒップホップを知って好きになっていました。ただ、ダンス教室は2年ぐらいやった時に『意味ねえな』って思っちゃって…。ダンスって結局、自分の色が出なきゃ意味ないと、早々に気づいたんですよ。そこはめちゃくちゃ自分の褒めたいところなんですよ(笑い)。生徒って先生の色に染まっていくんですが、自分はその人のスタイルになるのは嫌だったんですね。天邪鬼(あまのじゃく)のAB型なんで、人と違う事だと安心できるみたいなところがあるんです。教室をやめてからはYouTubeとストリートでひたすら自分の好きなダンスを踊っていました。僕の場合は姉貴と一緒にやっていて、イベントとか出ると時には一緒に踊っていました。僕が上京した瞬間に子供を産んで、今や2児の母です。孫の顔を見せるという親孝行は姉貴がしっかりしてくれています(笑い)」

 16歳の時にはフィリピン出身の歌姫、シャリースのバックダンサーのオーディションに合格した。そこでプロの厳しさを垣間見たそうだ。

 「仕事としてダンスをするのは初めてでした。スタジオでやるのも初めてなら、振り落としがあってからの振り付けをするのも初めて。そして移動もあって『リハには何時に来て』とか拘束とかも長くて…。僕らって○○駅に集合してスピーカーだけを置いて、皆でバーって踊るっていう感じだったんですけど、まるで違っていました。ちょっと大人の世界をのぞいちゃって『あ、これ、仕事なんだ』ってめっちゃ思いました」

 ―かなりハードだった?

 「はい。バックダンサーとして参加したMV(ミュージック・ビデオ)は無事に撮れたんですけど、神戸のワールド記念ホールでのライブの前日に下痢になったんですよ。それが何よりもしんどくて、手羽先屋さんでセンマイ刺し食べたら当たって…。夜中の2時ぐらいに全部吐きだして、点滴打って会場に着いて10分後にステージに立っていました。アドレナリンだけで走り切って、終わってバーッと倒れるみたいな。自分がそんな状態でも会場にはお客様いる。僕らのファンも少ないけどいらっしゃっていて、プロは体調もちゃんとしなきゃいけないっていうことを学びました。だからランペイジの正式メンバーに選ばれた時、嬉しかった反面『本当にしんどさは、ここから始まる』って思えました」

<3>へ続く

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