藤波辰爾「50年の名勝負数え唄~WRESTLING JOURNEY~」<28>ヘビー級転向初戦 ボブ・バックランド戦

スポーツ報知
藤波辰爾

 プロレス界のレジェンド藤波辰爾(68)が今年、デビュー51年目を迎える。16歳で日本プロレスに入門し、1971年5月9日に岐阜市民センターでの新海弘勝(北沢幹之)戦でデビューした。スポーツ報知では半世紀を超える数々の名勝負を藤波に取材。「藤波辰爾、50年の名勝負数え唄~WRESTLING JOURNEY~」と題し、毎週金曜日に連載する。28回目は「ヘビー級転向初戦 ボブ・バックランド戦」

 1981年10月16日、藤波は、大分県立総合体育館でのスチーブ・トラビス戦でのWWFジュニアヘビー級選手権を最後に王座を返上した。理由はヘビー級への転向だった。1978年1月23日にニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンで奪取してから4年間で通算52回の防衛に成功。日本マット界にジュニアヘビー級という新しいジャンルを開拓し、自身の代名詞とも言えるベルトに別れを告げた。ヘビー級転向を決断した背景は、体重増などがあったが今、藤波はこう明かす。

 「やっぱりタイガーマスクのデビューが大きかった。今までのレスラーにはない彼の動き。僕より後輩であれほどすごくて衝撃を受けたレスラーは後にも先にも彼だけ。タイガーマスクが出現したことでジュニアはタイガーに任せた方がいいと思った」

 1981年4月23日、英国で修業中だった佐山サトルが変身して誕生した「タイガーマスク」。鋭い蹴り、四次元殺法と呼ばれた華麗な空中技、そして確かなレスリング技術…すべてにおいて時代を変えた佐山の出現が藤波、そして新日本プロレスにヘビー級転向を決断させたのだ。年が明けた1982年元日。藤波は正式にヘビー級に転向した。新日本プロレスは「飛龍十番勝負」と銘打ちヘビー級の壁に挑む試練の十番勝負を企画。その初戦、後楽園ホールで待ち受けていたのがWWF世界ヘビー級王者のボブ・バックランドへの挑戦だった。ジュニア時代も対戦した経験はあったが、転向初戦は気持ちが違ったという。

 「やっぱり緊張した。ただ、彼はアマレスから来ているから、他の外国人選手と違ってスタイルが異質で新鮮味があった。カール・ゴッチさんから習ったものをそのまま出せばいいと思った。

 試合は藤波がバックランドの左腕を攻める展開となった。中でもキーロックで固めた藤波をバックランドが持ち上げるシーンが印象的だった。

 「ヒョイって感じて持ち上げられたからね。パワーの違いを感じた。特に彼は背筋が強い。ゴッチさんがレスラーの強さを見る時は『背中に筋肉が盛っている選手は気をつけろ』と言われた。練習をやっていないとあそこに筋肉は付かない。まさにそれがバックランドだった」

 バックランドのナチュラルなパワーに食い下がったが最後は逆エビ固めを決めたところを丸められてフォール負けした。

 「ジュニア時代とそんなにスタイルを変えたことはなかった。自分が持っているレスリング技術を出すことだけを考えていた」

 ヘビー級に転向しアントニオ猪木の後継者として強豪外国人と戦う日々が続いた。順風満帆なリングが激変する時が来る。1982年10月8日、後楽園ホール。長州力の反逆だった。

(続く)

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