内村航平、2011年世界選手権が絶頂「ゾーンを感じた。人間を超えられたんじゃないかな」引退会見(前編)

関係者から花束を受け取る内村航平
関係者から花束を受け取る内村航平

 体操男子で五輪個人総合連覇を含む7個のメダルを獲得した内村航平(33)=ジョイカル=が14日、都内で引退会見を行い、約30年に及ぶ体操人生について語り尽くした。

 ―約30年の体操人生を振り返って。

 「実績だけ見ると、結果はかなり残せたかなと思う。今、振り返ると『まだまだやれたな』『あの時、ああしておけばよかったな』っていうのもすごく思う。本当に自分の競技人生に満足ができているかというと、そうではない」

 ―一番感謝を伝えたい人。

 「コーチの佐藤(寛朗)ですかね。5年間、一緒にマンツーマンでやってきて、かなり迷惑もかけた。本当は最後、五輪で金メダルをかけてあげたいなっていう気持ちはあったんですけど、それができなくて、ちょっと残念だった気持ちもある。語り尽くせないぐらい、濃い時間をともに過ごしてきたので、今ここに立っているのも彼のおかげ。素直に心から思っている」

 ―体操の中で最もこだわってきたもの。

 「着地です。世界チャンピオンとして、五輪チャンピオンとして、着地を止めるっていうのは、当たり前のことだと思ってやってきたので。現役選手として最後の舞台になった(昨年10月の)世界選手権の最後も、『着地は絶対に止めてやろう』という気持ちでやれた。下の世代の選手たちにも、『これが体操だ』『本物の着地だ』ってところを、僕らしいところを最後、見せられたと思う」

 ―最も熱く盛り上がった瞬間は?

 「2つあります。2011年に東京でやった世界選手権の個人総合決勝と16年リオ五輪の個人総合の鉄棒ですね。今でも感覚とか、見た視界とかが記憶に残っていて。2011年の世界選手権も今まで感じたことがないくらいのゾーンを感じて、『何をやってもうまくいく』っていう感覚で目覚めて試合が終わるまで、全て自分の思い通りでいった。あれはもう一生出せない。リオ五輪の鉄棒に関しては、五輪の体操の歴史にも残せる激闘をオレグ選手と、あの五輪会場を2人で支配できたっていう雰囲気を感じられたのは、すごく今でも記憶に残っているので、うーん、その2つは絶対にもう、今後味わえないだろうなっていうのを、そこで感じてました」

 ―2011年世界選手権に感じたゾーンについて。

 「人生で一番、心技体がそろっていた時期。練習量もそうですし、練習の質もものすごく高かったし、メンタルもあの時が一番強かった。痛いところも全くなかったし、自分は何をやってもできると思っていた時期だった。でもやっぱり、一番の要因は世界で一番練習をしていたからだと思っています。あとは自分の演技、体操に対してものすごく自信を持っていた。強さとはかけ離れたというか、自分一人だけが楽しんでいるみたいな状況だった。あれを1回経験できただけでも、人間をちょっと超えられたんじゃないかなと。ゾーンの話をすると3日ぐらい寝ずに話を続けちゃうと思うので、ここでやめときます」

 ―30年連れ添ってきた体操への思い。

 「『ありがとう』とか、そんな軽い言葉じゃ本当、感謝を伝えられないというか。僕は体操しか知らないので。これだけ体操というもので、内村航平がつくられて。人間性もそうだし、競技も結果としてすごく残せたし、感謝している気持ちを返していかないといけない思いがすごく強い。今後は、体操ということに対して、世界で一番僕が知っている状態にしたい。極めるとか、そういう次元よりも、もっと上のところまでいきたい」

 ―自身の名「ウチムラ」がつく技が実はあったのか。

 「やっていたら確実に『ウチムラ』という名前がついていた技は、もちろんある。個人総合でトップを維持するために技をやることをやめたと言いますか、必要なかった。実際、2013年世界選手権で白井健三が跳馬で(伸身)ユルチェンコ3回ひねりという技を成功させて、「シライ/キムヒフン」という名前になったが、あの技は10年の全日本の種目別決勝で僕が最初にやっているので、健三に取られた技(笑い)。この技は個人総合では安定させるのが難しいと判断したのでやめたんですけど、3年後、軽々跳ぶ坊主(白井)が現れたので『本当にこいつはどうなってんだ』という気持ちで見ていた。自身の名前がついた技がない状態で引退も逆にありかなと。技名を1つ残すより、すごいことを僕はやってきた」

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