今年の野球殿堂入り通知式が14日、都内の野球殿堂博物館で行われた。プレーヤー表彰では日米通算313セーブで現ヤクルト監督の高津臣吾氏(53)、プロ野球史上初の50歳での登板を果たした元中日の山本昌氏(56)が新たに殿堂入り。特別表彰では元東海大総長で首都大学野球連盟を創設した故・松前重義氏が選出された。指導者も対象となるエキスパート表彰は昨年に続き当選者なしだった。
一昨年は7票、昨年は10票足りなかった当選ラインをクリアしての殿堂入り。高津監督は「(日本一で)幸せで忙しいオフを過ごさせていただき、あと2週間でキャンプというところでこのニュースをいただいた。本当に光栄に思います」と笑顔を見せた。
恩師・野村監督の下、守護神として黄金期を支え、メジャーのマウンドも踏んだ。しかし、広島で生まれ育ち、「カープの選手になりたくて」歩み始めた野球人生は、決して平坦な道のりではなかった。高校、大学ともエース格ではなく、プロ入りはドラフト3位。宝刀シンカーを武器に日米通算313セーブを挙げた一方で、晩年はけがと闘いながら韓国、台湾、BCリーグと渡り歩いた。
「一番はプレーしたいということ。なりふり構わず、好きな野球ができるならと思って続けてきた」という現役時代。「楽しかった時より、思い浮かぶのはつらかった時や苦しい時期、やられた場面」だというが、日本一の指揮官まで上り詰めた今は「すべてが素晴らしい経験で、間違いじゃなかった」と言い切る。
監督生活もまた、就任1年目は最下位とつまずいた。それでも、野村監督に学んだ「言葉の力」を信じ、「絶対大丈夫」とナインを鼓舞して“下克上日本一”を成し遂げた。
接戦の連続で名勝負と呼ばれたオリックスとの日本シリーズ。「野球を知らない人からも面白い戦いだったと言ってもらえた。全力で一生懸命、真剣勝負をしたことで喜んでもらえたのだと思う。これからも、どんなことがあってもファイティングポーズをとり続けて戦うことが(野球界を)盛り上げるための一番の近道」と胸を張った。V2を目指してのキャンプインはもう目の前。「ゼロから足元を見つめてスタートを切り、新たないい1年にしたい」と、改めて黄金期の再現を誓った。(星野 和明)
◆高津監督と松井氏の対戦 2人のNPBでの通算対戦成績は3本塁打含む18打数8安打8打点で三振はわずか1個。メジャーでは文中の二塁打の1度だけだった。なお、1996年のオールスター第2戦の9回2死、打者松井の場面で全パの仰木監督がイチローをマウンドに上げた。これに怒った全セの野村監督が代打に送ったのが高津だった。