松前重義氏が殿堂入り 元東海大総長で首都大学リーグ創設に尽力

スポーツ報知
松前重義さんの写真の横で記念撮影する山田清志東海大学学長(手前)と原辰徳監督(代表撮影)

 今年の野球殿堂入り通知式が14日、都内の野球殿堂博物館で行われた。プレーヤー表彰では日米通算313セーブで現ヤクルト監督の高津臣吾氏(53)、プロ野球史上初の50歳での登板を果たした元中日の山本昌氏(56)が新たに殿堂入り。特別表彰では元東海大総長で首都大学野球連盟を創設した故・松前重義氏が選出された。指導者も対象となるエキスパート表彰は昨年に続き当選者なしだった。

 松前氏は教育者として複数の学校を創設。東海大総長時代の64年、全日本大学野球選手権大会の出場枠拡大に伴って、東都大学野球連盟の準加盟校だった同校が、他の準加盟校などに呼びかけ首都大学野球連盟を結成。同連盟会長に就任した。

 66年には三池工で全国制覇した故・原貢氏を系列の東海大相模高に招へいし、70年に全国制覇。貢氏は77年に息子の辰徳氏進学とともに東海大監督に就任し、強豪チームとした。

 松前氏はその後、野球の五輪正式種目化を提唱。友好関係のモスクワ大に資金提供し89年にソ連初の球場を建設。学生野球の国際大会を開催し国際化を目指した。

 日本高野連最高顧問などアマチュア野球の要職を歴任したが、実はプロ野球にも関係している。49年、武蔵野市にスポーツ施設建設が持ち上がった際、関係者の多くが競輪場を推す中、松前氏が野球場を主張し、51年に東京スタディアム(別名・武蔵野グリーンパーク)として完成した。プロ野球は計16試合、東京六大学も試合を行った。56年に解体されたが、国内外で野球の発展に尽力した。

 ◆松前 重義(まつまえ・しげよし)1901年10月24日、熊本県生まれ。東北帝国大から逓信省に入省。無装荷ケーブルの発明で知られる。大政翼賛会時代、軍部に太平洋戦争反対を唱え二等兵で南方戦線に送られるも無事復員。戦後逓信院総裁就任も公職追放。それが解けた52年に社会党から衆院選に出馬し通算6回当選。その間、複数の学校を創立、中でも東海大を全国有数の大学に育て上げた。野球だけではなく国際柔道連盟会長を歴任。勲一等瑞宝章に加え、日ソ間の交流に尽力したことでモスクワ大から日本人初の名誉学位を贈られた。91年に心不全のため89歳で死去。

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