山本昌氏、引退当日のサインは「やまもも」?現役晩年見届けた担当記者とのラストデー…殿堂入り記念コラム

スポーツ報知
2014年11月、現役最後の契約更改を終えて会見に応じた山本昌(右)と取材した田中昌宏記者

 野球殿堂入りが14日、東京・文京区の野球殿堂博物館で発表された。プレーヤー表彰ではNPB通算286セーブを挙げ、米国、韓国、台湾でもプレーしたヤクルト・高津臣吾監督(53)と、NPB最年長出場となる50歳でマウンドに立つなど通算219勝を挙げた元中日の山本昌氏(56)が選出された。山本昌氏の現役時代を取材した現・大阪編集センターデスクの田中昌宏記者が、2015年の現役ラストデーを振り返った。

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 2015年10月7日。私は禁断の行動に出ようとしていた。

 広島市内の中日チーム宿舎。私は「プロ野球記者がやってはいけないこと」のひとつとされる「試合前の先発投手への声かけ」を試みようとたくらんでいたのだ。しかも相手は登板前に神経を研ぎ澄ませ、数多くのルーチンをこなすために、無用な“雑音”を人一倍嫌う50歳の大ベテランだ。

 悪目立ちしないよう、昌さんのセットポジションよろしく背中を丸めて宿舎のロビーをウロウロしていたら、向こうから…背番号34の大男から「おお田中くん!」と声を掛けられた。

 良かった。約束を覚えてくれていた。数日前にプレゼントを渡したい旨を伝えたら「じゃあ試合前に宿舎に持ってきてよ」と言われていたのだった。

 すみません大事な引退登板の前なのに、と恐縮しながら手渡した小さい紙袋には、ファミコンソフト「ファミスタ’89開幕版!!」を入れていた。その8か月前、中日2軍キャンプ地の沖縄・読谷村で休日に昌さんと雑談している時「昔“ファミスタになった”時はうれしかった」と話していたことを思い出し、引退記念にプレゼントしようと思い立ったのだ。私は大阪随一のオタク街・日本橋の中古ゲーム店を数軒ハシゴして、程度のいいソフトを探し当てていた。確か当時の販売価格の数倍はしたと思う。

 1974年生まれの私と同世代の方はご存じだと思うが、86年に発売され大ヒット作となった「プロ野球ファミリースタジアム」は当初、選手を(ほぼ)実名で登場させていた。例えばTチーム(タイタンズ)の三塁手は「かけふ」。だが大人の事情なのか何なのか、3作目の「ファミリースタジアム’88」で突如、実名に寄せた架空の選手名に変わった。「かけふ」は「かつちやん」になっていた。蚊のかっちゃん…。

 そんな「ファミスタ」の4作目「’89開幕版!!」でDチーム(ドラサンズ)に新たな投手が加えられた。それが「やまもと」ならぬ「やまもも」だった。

 ゲーム好きの昌さんは「いやあ、うれしいなあ。昔持ってたんだけど、なくしたんだよね」と目尻を下げてくれた。今まで見せていたピリピリムードとは無縁の、すこぶる穏やかな表情。口数もやたら多かった。私は現役生活の最晩年2年間しか接していないが、試合直前にそんな雰囲気の昌さんを見るのは、後にも先にもこの時だけだった。

 私は、ヨシこれならいける…とばかりにポケットから同じソフトを差し出した。こちらは程度の悪いハダカのソフト。「何。2つもくれるの?」違うんです昌さん。これは私のやつ。怒られちゃうかもしれないけど、サインをもらおうと思ったんです。記者なのにおねだりしてみっともないんですが。「全然いいよ」とプラスチック製のカセットにサラサラとしたためてくれた。しかも丁寧に「やまもも」と一筆添えてくれたのだ。私が自分自身のためにプロ野球選手からサインをもらうのは、後にも先にもこの時だけ(現時点で)だった。

 その夜、昌さんはマツダスタジアムで先発し、先頭打者を打ち取ってプロ32年間のマウンドに別れを告げた。球場のほとんどを埋めた広島ファンからも惜しみない拍手が送られた。

 その後、なぜか昌さんは文字通り「ファミスタ」の看板選手になった。引退から2年後の17年1月、シリーズ30周年記念イベントで、ゲーム内のオリジナルチーム「ナムコスターズ」に「やまもも」として“再加入”することが発表されたのだ。

 もしかしたら昌さんは、引退後に私がプレゼントしたソフトをやり込んだんじゃないか。そして、そのことが発売元のバンダイナムコエンターテインメント社や代理店の耳に入って「ナムコスターズ加入」につながったんじゃないか。つまり私のおかげじゃないか。

 私は宝物にしている「やまもも」のサイン入りソフトを眺めながら、そんな都合のいい妄想にふけっている。

(14~18年中日担当・田中昌宏)

 ◆余談 同じ15年を最後に現役を引退した中日のレジェンドがもうひとりいる。しかも、その選手の「ファミスタ」デビューも「’89開幕版!!」。Wチーム(ホイールズ)の「かわしげ」こと谷繁元信捕手兼任監督(当時)にもサインをもらっておいたら良かったな、と思う今日この頃だ。

 ◆昌を昌と呼ぶ人は 実はチーム内で山本昌投手を「昌」と呼ぶのは落合博満GMら年上のスタッフやコーチだけだった。厳しい上下関係の時代を生きてきた谷繁兼任監督、岩瀬仁紀投手、山井大介投手ら年下のナインは、「昌さん」だとフランク過ぎると敬遠したのか、もっぱら「山本さん」だった。ちなみに社内外で「昌」と称される田中昌宏記者のことを「昌」「昌さん」と呼ぶ中日関係者は、レジェンド左腕の引退後に入団した選手ら、ごく少数。名古屋では「山本さん」以外の人物を「昌さん」とは認めないようだ(肩書きはいずれも15年当時)。

 ◆山本昌(やまもとまさ)本名・山本昌広。1965年8月11日、神奈川県生まれ。56歳。神奈川・日大藤沢高から83年ドラフト5位で中日に入団。最多勝3度、ベストナイン2度、最優秀防御率と最多奪三振を1度受賞。94年に沢村賞。14年に49歳25日でプロ野球最年長勝利をマークし、15年に50歳57日で最年長出場。同年限りで現役引退。通算581試合219勝165敗5セーブ、防御率3・45。186センチ、87キロ。左投左打。

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