あの日テレビの前で胸を躍らせた名勝負、レジェンドが振り返るあの一戦から、世界最大のプロレス団体WWEで活躍中の日本人スーパースターの最新情報まで、プロレス&格闘技の様々な情報をお届けする「ファイト報知」。報知の過去記事を振り返る「プロレス今日は何記念日」、「金曜8時のプロレスコラム傑作選」など担当記者の熱がこもった原稿をお楽しみください。

藤波辰爾「50年の名勝負数え唄~WRESTLING JOURNEY~」<26>王座奪還の剛竜馬戦

藤波辰爾
藤波辰爾

 プロレス界のレジェンド藤波辰爾(68)が今年、デビュー51年目を迎える。16歳で日本プロレスに入門し、1971年5月9日に岐阜市民センターでの新海弘勝(北沢幹之)戦でデビューした。スポーツ報知では半世紀を超える数々の名勝負を藤波に取材。「藤波辰爾、50年の名勝負数え唄~WRESTLING JOURNEY~」と題し、毎週金曜日に連載する。また、今回の連載はデビュー50周年プロジェクト「IMAGINATION PROJECT」と連動し「ドラディション」公式You Tubeチャンネル「DRADITION TV」で藤波が名勝負を振り返るインタビュー動画を配信する。26回目は「王座奪還の剛竜馬戦」。

 1979年10月2日、大阪府立体育会館での剛竜馬戦で23回連続で防衛していたWWFジュニア王座から陥落。失意の藤波に、2日後の10月4日、蔵前国技館でダイレクトリターンマッチが用意された。

 「挑戦そのものが屈辱だった。もう負けは許されない。とにかくベルトを取り返す。元の自分のポジションに戻る気持ちが強かった」

 試合は、剛のブレーンバスターを切り返すジャパニーズ・レッグ・ロールクラッチでフォールし奪還に成功した。

 「勝った瞬間は『やった!』っていうより、ホッとした気持ちが強かった。今、振り返ればたった2日間でなんてことないんですけど、当時は、この2日間がものすごく長く感じた」

 大阪で敗れた時、当時、婚約中だった妻の伽織さんの前で涙を流した。王座から陥落した時を思い出すと藤波はこう切り出した。

 「話はずれるけど、あの時は女房が大変だったと思う。僕は、リングで何かよくないことが起きると必要以上に周りをピリピリさせてしまう。女房に言わせると、顔が変わるそうなんです(苦笑)」

 タイトルマッチを前にする時は、自宅でも口数が少なくなるという。

 「食事も何が食べたいのか無言で伝えるんです。じゃあ、無言でどう伝わるのかっていうと、食べたいモノ、量とか自然と彼女が読み取るんです。僕は細かく言わない。彼女が察知するんだけど、今、思えば彼女は僕より大変だったと思います(笑)」

 王座陥落から奪還は、私生活でも緊迫した2日間だった。対戦した剛は、国際プロレスを離脱しフリー参戦していたが、その後、新日本に入団した。さらに、ユニバーサルプロレス、全日本を経て自身でパイオニア戦志を旗揚げするなど激動のプロレス人生を歩いた。「プロレス・バカ」の異名で注目されたが2009年10月18日、53歳の若さで亡くなった。

 「チャボ・ゲレロから始まってダイナマイト・キッド…いろんな相手と戦ったけど、剛竜馬との試合は、新日本の中で自分の立ち位置を確認させてくれた試合だった」

 そして、剛への思いを明かした。

 「あの時の剛竜馬は本当にいい顔をしていた」

 (続く。敬称略)

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