ストロング小林さん告別式、ひつぎに現役時代のガウンがかけられる…新間寿氏「これほどの寂しさはありません」

スポーツ報知
ストロング小林さんの出棺

 昨年12月31日に亡くなった元プロレスラーで俳優としても活躍したストロング小林さん(本名・小林省三、享年81)の告別式が9日、東京・青梅市の青梅市民斎場でしめやかに営まれた。

 式には元新日本プロレス専務取締役の新間寿氏、ストロングスタイルプロレスの平井丈雅代表らが参列した。また、新日本プロレスの坂口征二相談役、ドラディションの藤波辰爾、長州力、初代タイガーマスクの佐山サトル、元新日本プロレスレフェリーのミスター高橋氏から供花が届けられた。

 祭壇には、小林さんが1971年6月にIWA世界王座を奪取し、7月に凱旋帰国した時に羽田空港で会見した写真が遺影として飾られた。また、ひつぎには現役時代に着用したガウン、訃報を伝える新聞記事、ファンからの手紙、写真などが収められた。

 出棺では、「天国でもプロレスラーとして活躍して欲しい」との願いを込め、ひつぎに「ストロング小林」と染め抜かれたオレンジ色のガウンがかけられ、親族、知人、友人に見守られ、小林さんは旅立っていった。見送った新間氏は「これほどの悲しみ、寂しさはありません。一時代が終わった感があります」と涙を流していた。喪主を務めた妹のさち子さん(73)は「親しい方々に見送られて兄は幸せだったと思います」と明かし、「天国で(ラッシャー)木村さん、(山本)小鉄さん、そして育てていただいた(国際プロレス社長の)吉原(功)さんたちと会って、またプロレスを続けるかもしれませんね」と願っていた。

 小林さんは、1940年12月25日に東京・本郷で生まれた。戦時中に青梅市に疎開し、同市で育った。高校卒業後に国鉄(現在のJRグループ)に入社し南武線の稲城長沼駅で勤務した。25歳の時にボディビル会場でスカウトされ国際プロレスに入門。67年7月27日に日本人初の覆面レスラー「覆面太郎」としてデビューした。

 その後、素顔となりリングネームを「ストロング小林」と変えてからは、欧州、米国のマットを席巻。国際プロレスのトップレスラーとして活躍。1971年6月にはIWA世界王座を奪取し名実共に国際を支えるスターレスラーとなった。

 1974年2月には新日本プロレスに引き抜かれ、3月19日には蔵前国技館で当時、禁断とされていた団体の枠を越えた日本人対決となるアントニオ猪木戦を実現させた。75年5月には新日本プロレスに入団し、坂口征二とのタッグで北米タッグ王座を獲得するなどトップレスラーとして新日本のリングで戦った。81年秋から腰痛を悪化させ長期欠場に入り、84年8月26日に東京・福生市体育館で現役を引退した。

 引退後は芸名を「ストロング金剛」とし、映画、ドラマ、バラエティ番組など多方面で活躍。中でもTBS系「痛快なりゆき番組 風雲!たけし城」では悪役として一般参加者を追い回す姿で絶大な人気を得た。

 95年1月からは芸能活動も休止し、青梅市内の自宅で生活をしていたが、4年前から腰椎損傷で下半身が動かなくなり青梅市内の特別養護老人ホームで1週間のうち4日間、3日間を青梅市内の自宅で生活をしていた。今夏からはすべてを老人ホームで暮らすようになったが11月には肺を患い青梅市内の病院に入院。昨年12月30日に容体が急変し、家族に見守られながら、31日午前7時21分、のう肺のため息を引き取った。

 

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