北澤豪と100万人の仲間たち<26>ワールドカップフランス大会メンバー落選後の「空白の3日間」でたどりついた境地

スポーツ報知
ワールドカップフランス大会日本代表メンバー落選の「ニヨンの衝撃」後、三浦知良との「空白の3日間」を終え、記者会見に臨んだ北澤豪(1998年6月5日、成田空港)

 元サッカー日本代表、北澤豪氏(53)。波瀾万丈の競技人生を疾走し、現在は世界の子どもたちを支援する環境づくりを目指している。その軌跡とビジョンを、ノンフィクション作家の平山讓氏が独占取材。毎月10日と25日に記事を公開していく。

 ワールドカップフランス大会直前に北澤は日本代表メンバーから外された。岡田武史監督から通達された直後は、悔しさや、悲しさや、憤りといった感情で冷静ではいられなかった。

 「フランスでの観戦を楽しみにしていてくれた両親に伝えるのが、一番つらかったです。親孝行できなかったなと。部屋から日本へ電話すると、普段は厳しいことしか言わない父が、『ここまでよく頑張ったじゃないか』と優しく慰めてくれました。逆に普段は優しくて温和な母が、『監督を許さない』と怒ってくれて。ワールドカップなんて夢のまた夢だった幼い頃から、ずっと僕を信じてサッカー人生を支えてくれた両親。その2人の正直な気持ちを聞いて救われました。メンバーから外されて孤独感がありましたけど、僕には同じ思いを共有してくれる人がいるじゃないかと」

 他のチームメートには別れを告げることなく、ともに落選した三浦知良と2人でスイスのニヨンを離れるつもりでいた。だが宿舎の階段を下りたところで立ちどまった。

 「そこに、チームのみんながいたんです。僕らにかける言葉がなかったんでしょうね、誰もが黙っていました。そうしたら小野伸二だけが、『俺、頑張ります』と言ったんです」

 ベテラン2人が去ってゆく姿に、唯一10代で選ばれた小野は、決意を告げずにはいられなかったのだろう。その後カズが背負い続けた背番号「11」をワールドカップで継承し、対ジャマイカ代表戦で15分間ながら小野は出場を果たす。それは現在でも日本代表のワールドカップ出場最年少記録だ。

 「あのワールドカップ後、伸二はヨーロッパで大活躍して、日本へ戻ってからも怪我を抱えながら、40歳を過ぎたいまでも現役でプレーしているでしょ。カズさんの背中を追うようにしてね。あの別れ際の言葉や、そしてその後のサッカー人生に、18歳でメンバー入りした彼の責任感を感じました」

 そして、「ドーハの悲劇」や「ジョホールバルの歓喜」をともにした、「戦友」の井原正巳と中山雅史。彼ら2人はカズが部屋で荷物整理をしているときから涙をこぼしていた。別れ際まで、何も言えずに茫然と立ちつくしている2人に、言葉を発したのは北澤の方だった。

 「井原さんとゴンちゃんは、僕らがいなくなることが受けいれられなかったのかもしれません。『だけど俺らがここを離れるのは、チームに迷惑をかけたくないってことだから。僕らの分まで頑張ってくれないと困りますよ』と言い残しました。2人はただ黙って頷いてくれました」

 落選通達から約1時間後の午後1時過ぎ、協会関係者とコーディネーターとともに、カズと北澤はレンタカーに乗りこんで合宿所を離れた。

 「空白の3日間」の始まりだった。

 日本代表選手としてフランスへ行くつもりだった彼らに、行くあてなどなかった。ニヨンからは遠く離れることで行方を晦(くら)まそうと思った。

 「いま報道陣の前に出たら、結構なことを言ってしまうなと自分でわかっていましたから、熱を冷まさないといけないと思っていました。チームのみんなに迷惑をかけたくなかったですから。するとカズさんも車内で一言、『消えよう』と言ったんです。いずれは日本へ帰らなければならないけど、いまじゃないと。僕らの話題が大きくなってしまうことは避けた方がいいと」

 スイスを離れ、フランスか、ドイツか、とにかくアルプス山脈は越えようと話していると、「(イタリアの)ミラノへ行こう」とカズから提案された。1994年にジェノアでアジア人初のセリエA選手としてプレーした経験があるカズにとって、ミラノは馴染みがある都市だった。

 ミラノのホテルで3日間、北澤は一人で過ごす時間が多かった。気分転換にカズが髪を切り、金髪に染めるという美容室には同行した。トレードマークの長髪を切ってしまうわけにはいかない北澤は、店内には入らずに外の階段に腰掛けて2時間以上も一人で考えていた。

 「すべてを取りあげられてしまったような気がしていました。最終予選の途中で呼ばれて、予選突破に貢献したのにとか、やっぱりいろんな思いがこみあげてきて。だけど、考えてみるとニヨンを出てからの車内でも、そしてミラノへ来てからでも、カズさんはメンバーを外されたことや、岡田さんのことは、いっさい口にしなかったんです。そんなカズさんの前向きな姿勢には本当に助けられました。そしてカズさんは、ぽつりとこうも言ってくれたんです。『キー、俺たちヴェルディがあってよかったな』って」

 ヴェルディとはむろん、彼ら2人が所属しているヴェルディ川崎のことだ。それまで北澤は日本代表のことで頭がいっぱいで、クラブチームのことは考えられずにいた。

 「『ドーハの悲劇』から4年間、ワールドカップに行くことを目指していましたから、その目前で行けなくなったことで、感覚的に自分のサッカーそのものが奪われてしまった感じがあったんです。でもカズさんが、『俺たちにはサッカーをやれる場所がある。ヴェルディに感謝しないとな』と言ってくれました。それを聞いて、そうだな、まだサッカーができるってことは、幸せなことじゃないかと、そのとき心から思えたんです。そして2人でヴェルディに電話してみようってことになって、『元気で生きているから心配しないでください』と。当時は携帯電話も持ってなくて日本の情報がわからなかったんですけど、僕らを報道陣が捜しまわって大騒ぎになっていると。どこにいるのか訊かれたんですけど、『それは言えません』って(笑)」

 そして、成田空港へと向かう機内では、すっかり気持ちの整理がついていたという。

 「いつまでもくよくよしていても仕方ないってことは、小さな頃からサッカーをやってきて学んだ、一番大切なことじゃないかと。重要な大会でメンバーから外されたり、大事なPKを外してチームメートに責められ、翌日に学校行きたくないなと思ったこともありましたけど、行ってみるとみんなもう忘れていたりしてね。小学生のときから経験してきたたくさんの小さな躓(つまず)きが、だんだん大きくなって、いまはワールドカップという大会になっただけ。これまで、いつでも立ち上がってきたんだから、今回もそれをやればいいだけじゃないかって。そして、また日本代表に復帰できるように頑張ろうと、純粋にそう思うことができたんです」

 彼ら2人は日本へ降り立ち、大勢の報道陣に囲まれた。「空白の3日間」が終わった。

 ワールドカップから約1年後のキリンカップ、岡田監督の後任であるフランス人のフィリップ・トルシエ監督に招集され、北澤は言葉どおり日本代表へと復帰を果たすことになる。(敬称略)=続く=

 ◆平山讓(ひらやま・ゆずる) 1968年、東京生まれ。作家。ノンフィクションや実話を基にした物語を数多く手がける。主な著書は「ありがとう」(講談社/東映系にて全国ロードショー)、「ファイブ」(幻冬舎/NHKにてドラマ化)、「4アウト」(新潮社)、「パラリンピックからの贈りもの」(PHP研究所)、「中田翔 逃げない心 プロ野球選手という仕事」(主婦と生活社)など多数。

 〇…北澤氏が読者に新年のメッセージを寄せた。「この連載がスタートして、早くも1年を越えました。ご愛読いただき、本当にありがとうございます。世の中はコロナ禍でまだまだ大変な状況が続いています。この連載が、読者の皆様にとって苦境を乗り越えるための何かのヒントとなれば幸いです。本年も引き続き、よろしくお願いいたします」

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