新春インタビュー スキージャンプ・佐藤幸椰と佐藤慧一 W佐藤で五輪初出場を狙う

スポーツ報知
五輪も控えた22年へ、決意を込める雪印メグミルク・佐藤幸(右)と佐藤慧(カメラ・川上 大志)

 22年北京冬季五輪開幕(2月4日開会式)まで、4日で残り1か月となった。スキージャンプ男子で海外W杯転戦中の雪印メグミルク・佐藤幸椰(26)=石狩市出身、札幌日大高出=、佐藤慧一(24)=札幌市出身、下川商高出=はともに初出場が懸かる。海外遠征先で相部屋も多い“雪印のダブル佐藤”がこのほど「スポーツ報知」の単独対談に応じ、お互いの人柄や五輪への思いなどを存分に語った。(取材、構成=川上 大志)

 ―ダブル佐藤選手、よろしくお願いします!

 佐藤幸(以下、幸)「いつも一緒にいるから、もう話すことないですよ!?」

 佐藤慧(以下、慧)「会わないのは海外遠征後、雪印の練習が始まるまでの4月オフくらい?」

 幸「ケイティー(愛称)が打ちっぱなし誘ってくれないから…」

 慧「ゴルフやらないじゃないですか!」

 ―幸椰選手は札幌少年団、慧一選手は下川少年団で競技を始めた。出会いは?

 幸「小6かな?」

 慧「荒井山(札幌、ミディアムヒル台)でしたよね。僕が2つ下で小4。当時から先輩は断トツ上手だった」

 幸「まっ黄色のヘルメット、青いスーツに、なぜかアルペン競技のビンディング(ブーツを板に固定する器具)付けて飛んでて。その割にうまいヤツだなって印象が強烈だった」

 ―子供の頃の憧れは。

 慧「オーストリアが強くて、モルゲンシュテルンやシュリーレンツァウアーがすごく格好良かった」

 幸「ドイツのハンナバルト。長身184センチなのに上半身を全く使わず無駄ない飛躍。今の時代も通用すると思えるジャンパー」

―幸椰選手は石狩花川北中、札幌日大高、慧一選手は下川中高から雪印へ。今のW杯組は小林陵侑=土屋ホーム、岩手・盛岡中央高出=、中村直幹(ともに25)=フライングラボラトリー、東海大札幌高出=と同世代が多い。

 幸「僕が高3、慧一が高1くらいで岩手の陵侑がすごい勢いで出てきて。今の日本男子と近い構図かも」

 慧「昔から陵侑くんに追いつけ追い越せでこの年代は頑張ってきたところはある」

 幸「北海道チーム遠征時は皆で雑魚寝。慧一は当時からセンス満点で。けどいつもシーズン終盤3月くらいで調子が上がる…」

 慧「スロースターターは昔からかも(笑い)。全国高校総体3連覇のスターに対し、僕はそこまで実績もなく社会人でようやく芽が出た。今一緒にW杯を回れるのは不思議な感じ」

 ―海外遠征では相部屋も多い。お互いの好きなところは?

 幸「スラッとした身長! あとは練習熱心。『また自主トレ?』って」

 慧「いやいや、ストイックといえば先輩!」

 幸「全体練習後2時間以内にまたパーソナルトレ。やりすぎだよ!? でもそういうところが成長に出てる」

 慧「気配り、人間性がすごい。コロナ禍前とか食事に行っても他人の飲み物の減り具合注視したり、個室の小さいゴミを拾ってたり。相部屋だときれい好き過ぎも困ってますが…」

 幸「片付けはもはや趣味。遠征中も滞在先の部屋はきれいにしたい!」

 慧「僕は大ざっぱで忘れ物も結構ある。慌てて向こうで買ったり」

 幸「小学生の大会でジャンプスーツ忘れて親父にぶん殴られて。それから忘れ物は絶対しない(笑い)」

 慧「試合翌朝移動でも30分あれば荷作りできる。でも先輩は鞄のどこに何入れるとかルーティーンが…」

 幸「慧一がバックに入れたものをもう一度出して、しまい直して、やっと同じくらいに終わる感じ」

 慧「パッと終わらせて休みましょうよ!」

 ―昨季に続き、今季もコロナ禍で一時帰国も容易ではないタフな遠征が続く。

 幸「欧州選手は週中に自宅に帰って試合に来たり。羨ましい面はあるよね」

 慧「息抜きは長丁場で大事な要素かも。でも海外だとスマホを使うリフレッシュくらいしかできない…。日本チームはたまに皆でオンラインゲームやったり」

 幸「苦手な僕は、ちょっかい出したら怒られるんでその間アニメ見てます。あとは考察系ユーチューバー。アニメや漫画の結末を一緒に予想して。あれ、リフレッシュになってない?」

 慧「本業以外もストイック、頭休めないと!」

 ―慧一選手は昨年5月に結婚。

 慧「昨季も新婚早々5か月ほど海外へ。妻の理解や支えがあってジャンプ選手を頑張れる。テレビ電話で話す時間が癒やしです」

 幸「いいな~。22歳、実質大学生の年で結婚という決断力がすごい。いまや人生の先輩ですよ」

 ―2人は野球も好き。

 幸「海外でも山本由伸(オリックス)やばいね! とかチェックしてるよね」

 慧「2人とも地元の日ハムは応援する。ビッグボスで優勝してほしい!」

 ―昨夏の東京五輪は?

 幸「伊藤大海投手は誇らしかった。あとはボルダリング。W杯遠征で回るインスブルックに聖地があって。楢崎智亜選手はメダルが何色かと思っていたら4位で。それが衝撃だった」

 慧「男子フェンシング決勝は格好良かった。スケボーもそう。仮にルールが分からなくても、メダルという結果で競技の注目度は上がるんだと実感した」

 ―北京のジャンプ男子も“令和の日の丸飛行隊”として98年長野五輪以来の団体金メダルも期待される。

 慧「今の日本には陵侑くんがいる。他選手も負けじと底上げできれば、現実味を帯びてくるはず」

 幸「団体メダルはやっぱり何色でも欲しい。『4、5位じゃいつも通り』と口酸っぱく話している。21年世界選手権も全員いいリレーをして4位だった。1人ズバ抜けても3枚落ちればダメ。なるべく上位、メダル圏で陵侑につなげたい」

 ―それぞれ五輪への向き合い方が違うのも興味深い。

 慧「昔から五輪を意識して競技を続けてきたし、メダリストには憧れる」

 幸「メダリストは格好良いしこの上ない肩書きだと思う。でも元々W杯を見て始めた競技。4か月半戦った末のクリスタルトロフィー(個人総合優勝)への憧れの方が強いかも」

 ―五輪金の原田総監督、岡部監督は指導者を務める。

 幸「企業チームでメダルは一番の功績だし、そういう未来も面白い。でもジャンプを教えるのって難しい。そうなったら慧一が監督で、僕はしゃべり過ぎちゃうからコーチで…!」

 慧「感覚が大事なスポーツ。雪印の指導のおかげで今の僕たちがいるけど、原田さん、岡部さんみたいに人に教える自信は僕もないですよ(笑い)」

 ―最後に22年への抱負を。

 慧「今年の北京、26年のイタリア。五輪にはやっぱり出たいしメダルも取りたい。そのためにも、今は目の前のW杯に一戦一戦全力で。自分自身の実力を高めていける1年にしたい」

 幸「W杯で結果を残すことがおのずと五輪にもつながる。力を貸してくださいと言われれば、団体メダルを叶えられるような準備を。けがも付き物の競技。油断せず、22年も自分らしく飛び続けたいですね」

 ◆佐藤 幸椰(さとう・ゆきや)1995年6月19日、石狩市生まれ。小2から札幌少年団でジャンプを始め、石狩花川北中3年で全国中学優勝。札幌日大高では史上初全国高校3連覇。女子の高梨沙羅らと出場した12年ユース五輪(オーストリア)でノーマルヒル(NH)個人銅メダル。14年雪印メグミルク入社。19年世界選手権(同・ゼーフェルト)ラージヒル(LH)団体銅メダル。W杯個人通算2勝。海外遠征の必須インスタント食品は「蒙古タンメン中本」。好きな雪印メグミルク製品は「こんがり焼けるとろけるスライス」。161センチ、54キロ。

 ◆佐藤 慧一(さとう・けいいち)1997年7月27日、札幌市生まれ。小4から下川少年団でジャンプを始め、下川中2年で全国中学2位。下川商高3年時に高校選抜連覇、国体少年の部優勝。16年雪印メグミルク入社。20年5月に結婚。海外遠征の必須インスタント食品は「カレーメシ」。好きな雪印メグミルク製品は「カツゲン」と「6Pチーズスモーク味」。179センチ、62キロ。

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