荒川静香さん&刈屋富士雄さん、トリノ五輪“伝説のコンビ”北京五輪を前に「心を揺さぶる演技」を語りあう

スポーツ報知
イナバウアーのポーズを披露する荒川静香さんと刈屋富士雄氏(カメラ・関口 俊明)

 2月4日開幕の北京五輪を目前に、2006年トリノ五輪フィギュアスケート女子で、アジア人初の金メダルに輝いた荒川静香さん(40)と、その演技を五輪史に残る名実況で伝えた元NHKアナウンサーの刈屋富士雄さん(61)の新春特別対談が実現した。古今東西のスケーターたちが追求し続ける「心を揺さぶる演技」とは何か。荒川さんの代名詞演技「イナバウアー」に、その答えが見えてくる熱いトークとなった。(取材・構成=小河原 俊哉、高木 恵、小林 玲花)       

 ◆伝説演技から16年

 刈屋さん(以下、刈)「トリノの金メダルから2月で16年になりますね。北京五輪を前に改めて、後世の日本のスケーターたちに大きな影響を与えた金字塔だったと思います」

 荒川さん(以下、荒)「早いですよね」

 刈「欧米の選手以外での五輪制覇、10代がピークといわれた女子の常識を覆す五輪史上最年長24歳56日での栄冠、何よりもあの大舞台を楽しまれていた」

 荒「アウェーで集中できたし、認めてもらえたのはとても価値のあることだと思います」

 刈「ショートプログラム(SP)3位からの逆転金。SPが終わった後、メダルの色を考えていましたか?」(VTR参照)

 荒「それを意識したら結果が変わっていたかもしれません。『つかみたい』という欲が出ますし、やるべきことから集中がそれてしまう。SPが終わった後、『このまま帰りたい』って一瞬、思ったんです」

 刈「帰らないで(笑い)」

 荒「『振り払わないといけない。そうやってきたわけじゃない』と思って。エキシビションのような感覚でいきましたね。ふふふ」

 ◆12時間かけて考えた名実況       

 刈「SPが終わった後、私は荒川さんが金メダルを取るのではないかと初めて思いました。朝の公式練習後、夜のフリーの本番まで12時間、ずっと、どう実況するか考えた。私の横で解説された佐藤有香さんも『これ、勝てるかも!』と盛り上がってね」

 荒「そうだったんですか!」

 刈「オリンピックの女神は4年に1度、最高の演技をした人に『今回はあなたね』と突然、指名する。また、素晴らしいライバルたちへの敬意も込め、視聴者に一言で表現するにはどうするか。『女神が選んだ』では硬い。なら『トリノのオリンピックの女神は荒川静香にキスをしました』と。今日はあなたが最高よ、チュッみたいなね(笑い)」

 荒「ロマンチスト~(笑い)」

 刈「5項目の演技構成点の『スケーティング技術』も一番良かったしね」

 荒「それが本当にうれしかったんです。それまで自信のない部分でしたし。欧米のような華やかさや、芸術面での評価は日本人には難しくて、そこが必要だと思っていましたから」

 ◆トリノへの道                

 刈「98年長野五輪で初出場(13位)し、大学は早稲田に進学。けっこうアルバイトをされてましたね」

 荒「一人で生活して社会に行く準備を始めていた頃です。コンビニもファストフードもいろいろと」

 刈「長野の前からずっと荒川さんを取材してきて、驚かされたのが旭川でのNHK杯(03年)。ドアガール(選手がリンクに出入りする際にドアを開閉する係)をされてましたよね」

 荒「はい。なんでNHK杯出ないのに行くんだろうと。そこにニコライ(モロゾフ氏)が来てるから振り付けを見てもらえってことになって」【注1】

 【注1】トリノ五輪開幕の約2か月前の05年12月に、ロシア人のタラソワ・コーチとコンビを解消。02~03年シーズン以来、五輪代表経験を持つニコライ・モロゾフ氏をコーチに。モロゾフ氏は五輪目前でSPとフリーの曲を変え、荒川のイメージ、クールビューティーを演出。

 刈「荒川さんが我々と同じメディアのバスに乗っていて、競技生活の締めくくりに翌年のドルトムント世界選手権を目指す、と」

 荒「2004年ですね」

 刈「それを最後に引退してアイスショーにと考えられていた。でも、世界女王になり、2季先のトリノへの道も見えましたよね」

 荒「当時は大学4年生で引退する選手がほとんど。世界選手権が有終の美だと思ったら何か違った感じで。2季先まで続ける想像をしたこともなくて、すごく悩みました」

 刈「02年のソルトレークシティー五輪は代表に入れませんでした。長野後、もう一回出てやろうという気持ちにはならなかった?」

 荒「長野はうっかり出られちゃった感じでしたし、長野五輪シーズン以降、世界で戦う機会もなくて。まだ高校生でしたし、世界で戦うということが自分の中で進化していかなかったんですよね」

 刈「覚悟を決めたのは?」

 荒「05年の3月。この競技としっかりと向き合い切って終えたいという気持ちが本当に芽生えて。『悔いを残さない過ごし方をしよう。どんな結果であろうと、私はやり切った』と。ゴールが五輪ではなく、やり切ったというのが、私のゴールだと思うようになりました」

 ◆個性を放ったトリノ五輪フリー       

 刈「見る人の心に刻み込んだトリノ五輪フリーでした。04年から新採点法が導入され、柔軟性を生かした荒川さんの長所が加点されなくなった中、得点を重視するモロゾフ・コーチが得点にはならないイナバウアーをプログラムに組み込んだ」【注2】

 【注2】前大会の02年のソルトレークシティー五輪で起きた採点・判定の不正疑惑事件を受け、04年からジャンプやスピンなどの技術点に明確な基準を設けた新採点法を導入。上体をそらして滑走するイナバウアーは得点に反映されなくなった。

 荒「ニコライに『あなたの個性を最大限に生かさなきゃ意味がない。そのために作った3秒だ。記憶に残るメダリストであることが大事だ』って言われて。すごく刺さりましたし、多くの方々の記憶に残る演技をすることができました。プログラムが似通ってしまう中、どう印象づけ、どう違いを見せるのか。『イナバウアーは最近やらないね』と言われる機会も増えていたし『あ、そんなに人の記憶に残っていた要素だったんだ、それが私らしさなのか』と気づかされました」

 刈「当時は『時代が変わってもフィギュアスケートは人の心を揺さぶれるかどうかを競うスポーツ』と話されてました。それを競うのが、フィギュアの本質だとも。技術で点数を競い、さらに作品を高めていくかが大事なんですね」

 荒「(五輪前まで師事した)タラソワ・コーチから追い込みの苦しい夏の時期に言われたんです。『五輪はコンペティションじゃないわよ。ウィンターゲームって言うでしょ? ゲームはずっと前から始まっているの。このゲームを当日に楽しめるのは準備を周到にできた人だけなのよ』と」

 刈「採点するジャッジも、そうやって見てますよね」

 ◆北京五輪へ

 荒「1年、2年前からずっと見ていて、その選手にどれほど心を動かされたかという部分が得点に反映される。五輪でどう戦い、勝ちを取りにいくのかは、シーズンの前から始まっているんですよね」                 

 刈「さあ、北京が楽しみですね」

 荒「そうですね。若手のロシアの選手はすごく勢いがある。日本の選手は非常にスケーティングの技術が優れていると思うので、ロシアの選手とは違う、素晴らしさという部分で戦ってほしいですし、自信を持って臨んでほしいですね。団体戦も今回はかなり期待しています!」

 刈「日テレのキャスターとして現地からリポートされます」

 荒「五輪は挑む人の数だけストーリーがあります。視聴者の皆さまに、より五輪を深く見ていただけるために、目の前の結果だけではなく、その選手がどんなバックグラウンドを持ってそこに立っているのかを、お伝えしたいです」

 刈「素晴らしい放送を楽しみにしています!」

 ◆荒川 静香(あらかわ・しずか)1981年12月29日、東京・品川区生まれ。40歳。プロフィギュアスケーター、日本スケート連盟副会長。幼少時代は仙台で育ち、5歳からスケートを始める。小3で3回転ジャンプを跳ぶ。東北高1年の98年長野五輪で13位。早大教育学部卒業後、プリンスホテルに所属。2004年世界選手権を制し、06年トリノ五輪でアジア選手初の金メダルを獲得した。同年5月に引退し、プロスケーターに転向。13年に結婚。1女1男の母。166センチ。

 ◆刈屋 富士雄(かりや・ふじお)1960年4月3日、静岡・御殿場市生まれ。61歳。立飛HD執行役員スポーツプロデューサー。早大で漕艇(そうてい)部所属。83年にNHK入局、2020年4月に退局。大相撲、陸上、体操、フィギュアスケート、競馬などを中心に28競技の実況を担当し、五輪は夏冬通算16大会で実況、取材。04年アテネ夏季五輪の体操男子団体決勝での「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ!」など多くの感動的な実況フレーズを残した。

 ◆刈屋さん対談後記

 荒川さんのフィギュアへの思いは全く変わっていなかった。いまや時代は4回転ジャンプという高難度の技術が注目されているが、フィギュアの本質は「心を揺さぶること」と語った。

 長く苦しい道のりを経験してきた分、選手に対する視線が優しく、陰に隠れた努力を感じ取る温かさがある。アジア人が痛感してきた欧米との壁を乗り越え、自分なりのフィギュアの価値観を作ってきた。この経験をしっかり次の世代に伝えていこうという気持ちも素晴らしかった。

 トリノでの本番目前にけがが悪化し、現地で欠場を余儀なくされた長野五輪銀のミシェル・クワン(米国)は「夢をつかむのがスポーツならば、夢に届かないのもまたスポーツ。でも、夢をつかむために精いっぱい努力することこそがスポーツ。私は今まで精いっぱい努力した。だから、夢をつかめなくても悔いはない」と言った。自分と向き合い、最大限の力を出し切る。結果はどうあれ、その姿に人は心を揺さぶられる。(元NHKアナウンサー、解説主幹)

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