後楽園最長飛距離アーチのホッジス氏、通算35回目投票で念願の米野球殿堂入り

スポーツ報知
ホッジス氏を紹介した1956年11月3日付けの報知新聞紙面

 米野球殿堂が5日(日本時間6日)、6氏の殿堂入りを発表した。その中で通算35回目のチャンスで殿堂入りを果たしたのがギル・ホッジス氏だ。

 全米野球記者協会会員の通常の投票では15回の期間中最高63・4%まで伸ばしながらも75%をクリア出来ずにベテランズ委員会に移った。その候補にも過去19回も名を連ねながら逃していた。しかし、今回は16票中12票を得てやっと念願を果たした。

 娘のアイリーンさんはメッツを通じて「私の父は素晴らしい監督であり、素晴らしい選手でしたが、何よりも彼は素晴らしい父でした」と、95歳で健在のジョアン夫人と一緒に居たときに連絡が入り喜びあったと話していた。

 右打ちの強打者で主にドジャースの一塁手として通算370本塁打。この数字は1963年引退時では歴代11位。7年連続100打点もマークし、ドジャース7度のリーグ優勝に貢献。また3度のゴールドグラブ賞にも輝いた。ロジャー・カーンが書き下ろしたブルックリン・ドジャース時代の彼らを綴ったベストセラー“The Boys of Summer”(邦訳=夏の若者たち)の主役の一人でもあった。

 また、日本のオールドファンなら覚えているだろう。1956年10月19日、後楽園球場で打った日米野球の巨人戦で左中間場外アーチ。その後、王貞治が1964年に、バースが1986年に右翼場外にかっ飛ばしたが、左中間後方を飛び越えていったアーチを、当時左翼席で見ていた元パ・リーグ広報部長でメジャー通として知られた故パンチョ伊東さんが、後楽園史上最長飛距離と言い続けた一発。この時のドジャース・ナインで日本のファンからのサインに最も応じたのがホッジスだったという。

 1963年に移籍したセネタースで監督に就任。1969年に前年10チーム中9位だったメッツを世界一に導いた。しかし、2年後の春季キャンプの時に心臓麻痺で47歳で死去。1968年9月にも発作で約1か月の入院を余儀なくされたが、復帰して翌年の世界一を成し遂げた。

 日本以上に殿堂入りへの憧れを持つ米大リーグだけに、ホッジスさんおめでとう。

 蛭間 豊章(ベースボールアナリスト)

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